雑記の最近のブログ記事
この都心の一角の小さな場所で、働き盛りの男たち、スポーツで勝負するハードな男たち、トレーニングで身体を鍛える男たちを、心身両面でサポートし、尽力してゆける体制になってきたという事です。
グリークの対象の理由や特徴の具体的な説明は、「10周年に当たって」と「11周年に当たって」をお読み下さい。
要するに、本当によい〜奥深い治療を、最適な雰囲気下で、特徴を十分出しながら、遂行していく為にはどうしても対象を絞っていく必要があるのです。八方美人的な姿勢では、それなりのサービスしか提供できないと言う訳です。
私は、この業界でトップクラスの東洋鍼灸専門学校で、東洋医学の様々な本質を学ぶと共に、解剖、生理、臨床医学といった勉学やスキルを磨いてきました。一方、臨床経験を積む修行時代は、昼間のマッサージ繁盛店だけではなく、敢えて深夜のサウナでも働いてきました。
昼間だけではなく夜の客層の本当の姿やニーズ、また、施術する側の人間模様(後日、機会があれば、触れてみたいなと思ってますが)の把握や職人的な手法などもマスターしておきたかったからです。これらの経験は今でも大変ためになったと思っています。
一例として、オイルマッサージをあげてみましょう。日本では、女性が施術し、又殆ど女性が受ける、エステ的なマッサージと考えられているのではないでしょうか? 現に日本のほとんどのサウナでは、オイルマッサージの施術者は女性だけです。
でも欧米やアジアの海外では、全く違います。詳しくは書きませんが、まず、施術者〜セラピストは男性が主流です。それは、単に撫でるだけではない、筋肉に圧をかけ続けるオイルマッサージの場合は、まさに指圧でピンポイントの強圧を、連続して身体中にかけなければならず、相当ハードな労力が要求され、まさに男性向きだからです。
私が夜中働いていたサウナの大型店でさえも、オイルマッサージの施術者は女性限定でしたが、その女性の同僚たちは、オイルマッサージの予約が入ると、単価が高いだけに嬉しがっていた反面、通常の指圧系のマッサージと比べて、倍近く疲れるとこぼしていたのです。
また、海外、特に欧米では、各種アスリートやビジネスマンを中心に男たちが、オイルマッサージを受けるのが、ごく一般の習慣となっているのです。
ここ日本でも、仕事を終え疲労困憊した男たちの、オイルマッサージを男性にやってもらいたいと言う声を、深夜のサウナで、かなり耳にしました。
まあ、井の中の蛙とならないよう、絶えずアンテナを張りながら、これからも頑張っていきたいと思いますので、今後とも、どうぞよろしくお願い致します。
朝、東京駅発7時過ぎの新幹線に乗るべく、5時半には起床し準備を始め、6時過ぎに家を出発しました。土曜日の早朝でしたが、GW初日のせいか、在来線の車内は満員でした。
東京駅で朝食用の弁当を買ったのですが、"駅弁屋 祭"は昨年かなり混んでいて、乗車直後に出発と言う際どいタイミングになってしまったので、今年は空いていた南口の奥の膳まいで崎陽軒のシュウマイ弁当を買いました。妻も同じものを買いましたが、違う陳列棚にある、同じ崎陽軒のシュウマイ・チキン弁当を後で見て、これにすればよかったと後悔していました。息子は大好物の唐揚げ弁当です。
品川までは早速、朝食タイムとなりました。弁当が済むとトランプ係に任命した息子は、昨年同様、ババ抜きでいいかと確認後、手馴れた手つきで切り始めました。1回目はこの私が勝利し妻が最下位でしたが、2,3回目は息子と妻がそれぞれ勝ち、私が最下位でした。最後は妻の勝ちで、息子と私のし烈な最下位争いとなりましたが、どうにか3戦立て続けの最下位は免れました。
私がカードを取らせる時、ババから私の目が離れていないと息子は笑っていました。又妻はババを取った時、私の表情の変化で直ぐわかると言っていました。私はポーカーフェイスで平然を装っていたつもりなのですが・・・
やがて、昨年同様、新大阪までは息子と妻は眠りについていました。私は特に明日の行動について、情報収集などをして過ごしました。
新大阪駅に到着すると、昨年同様、息子は飛び交う大阪弁を面白がり早速真似ていました。大阪駅を経て新今宮駅へと在来線で移動するのは、昨年の記憶で問題ありませんでした。
スパワールド手前のドンキホーテで目覚まし時計を購入した後、スパでの手続きを済ませ、正式なチェックイン前の入浴となりました。
昨年は3月末でしたが、今年、4月末に敢えてした理由のひとつは、大きく2種類ある風呂のゾーンを、今年は違うタイプにする為でした。古代ローマ、ギリシア、アトランティス、イタリア・カプリ島、スペイン、地中海、フィンランドのヨーロッパゾーンと日本、イスラム、ペルシヤ、バリ、ドクタースパ、大檜風呂のアジアゾーンがあるのです。
奇数月と偶数月で、男性用と女性用が、交互に変わるのです。昨年、男性用は、アジアゾーンでしたが、今年はヨーロッパゾーンを楽しむことができました。ギリシアのパルテノン神殿にエレクティオン女神が佇むハーブ湯浴場や古代ローマのトレビの泉の銅像がそびえる豪華なジャグジー風呂などを満喫しました。
今回も、浴室内の喫茶室、オアシスドリンクで、昨年同様、息子と一服しました。息子は甘辛に味付けした餅を、私は冷凍みかん食べ、小腹を満たしました。
入浴後は、せっかく大阪まで来たのだから、代表的な大阪の街を見てみたいという息子の希望もあり、なんばの繁華街に繰り出すことにしました。当初は地図を見ながら、ぎこちなく歩いていましたが、やがて大阪の雰囲気にも慣れ、地図なしで勝手に赴くままに進み、テレビにもよく出る、道頓堀のグリコの大きな看板にたどり着くことができました。
グリコサインをバックに記念写真を撮ったのですが、通り過ぎる通行人や観光客らしき人たちにお願いをして、シャッターを押してもらいました。しかし、グリコを背景に入れるようにお願いしてなかった、カメラは横より縦にして撮影するのがよかった、丁度逆光になるのでフラッシュが必要だった等々、撮った画像を確認してからいろいろ気付くとともに、再度のチャレンジを繰り返し、結局何人もの方にお願いすることになりました。
どの方も皆さん、とても親切に対応して頂き、もう感謝の気持ちでイッパイでした。本当に有難うございました。でも想い出の作品を素晴らしい物にするためには、恥ずかしさにもめげず、労を惜しんではいけないのです(笑)。 妻と息子は半ばあきれ果てていましたが・・・・
くいだおれ太郎を横目に道頓堀の繁華街を歩きながら、土産物店で買物をした後、昼食を取ることにしました。夜はお好み焼きを食べる予定なので、昼はうどん、たこ焼き、ラーメン、寿司・・・何にするか、息子や妻に聞きましたが、何でもいいと言うので、先ほど見た小さな飲み屋風の串かつの"合格や"にしました。
10人ほどのカウンター席は丁度イッパイで、入口すぐの小さなボックス席に座り、めいめい好きな串カツを注文し平らげました。たこ焼きの串カツは興味があり頼みましたが、たこ焼きに串が刺さってるだけの感じでした。でもどれもとてもおいしかったです。
地下鉄で動物園前駅に戻り、スパワールドに帰る前に新世界のレトロな下町を散策しましたが、やたら串カツの店が多く、多数のお客さんで賑わっていました。ここ新世界は串カツの聖地だったことを、この時思い出しました。
スパワールドのホテルにチェックイン後、再度入浴した後、旅行のもう一つの楽しみとして、マッサージを受けました。昨年、待ち時間が長くて諦めた楽庵で、担当は40代くらいの男性でした。いつもと同様、首以外は強めでお願いしました。強さも程よく、ツボも的確で満足することが出来ました。
楽しみにしていた夕食の時間です。昨年行った、お好み焼きのお店、鶴橋風月に今年も行くことに決めていました。昨年食べておいしかったとんぺい焼きを初め、お好み焼きや焼きそばも大変美味でした。
私はお酒も注文しましたが、テーブルにあった氷漬けのレモンサワーのパンフレットの写真がどうしても気になったのでこれにしてしまいました。ところが、コップ内は、ほとんどレモンの果肉の氷漬けで純粋のサワーの液体の部分が極めて少なく、2杯目からは割安のお代わりもしましたが、これも同様で、ほとんど飲んだ気がしなくてこれは大失敗でした! 食事も終わり、軽く再度入浴した後は、明日の強行軍に備えて、皆早く就寝することにしました。
翌朝5時頃、目が覚めた私は、未だしっかり熟睡している妻や息子を残して、朝風呂でリフレッシュすることにしました。夜の風呂もいいけれど、早朝の風呂も実に気持ちがいいもんです。風呂の半分位は清掃で入れませんでしたが、入浴客も少なく、身体を思い切り伸ばしてリフレッシュすることができました。
部屋に戻ると妻も息子も起き始めていました。今回は、館内の炉端居酒屋でバイキング形式の朝食を食べることにしました。 6時半開店と同時に入店しました。和食と洋食がありましたが、やはり和食が充実していて、ほとんどこちらの料理を選択しました。
好物の納豆やマカロニサラダは外しませんでした。ご飯も2杯しっかり食べて朝から腹いっぱいになり、午後遅めの昼食にも備えることができました。
さあ、USJへの出発です。時計を見ると7時半と丁度いい時間です。天気も快晴で申し分のない日和です。新今宮駅から西九条乗換えで、ユニバーサルシティ駅には8時半前に到着しました。
USJのシンボル、ユニバーサルグローブ(地球儀)の前で、USJの管理職員と思われる方に、1枚だけですよ、と言われながら、撮っていただいた写真、又入園直後、キャラクターのアーニーに運よく出くわしスタッフに、家族共々撮ってもらった写真が、とても良く撮れていて、年賀状の画像に使おうと決めました。
今回は行くからにはと、かなり力が入ってしまい、指定した時間帯に行けば待ち時間がほとんど無くアトラクションに乗車できる、エクスプレス・パスを身の丈以上に購入してしまい、予算的にはかなり厳しい状況でした。でもおかげで、10のアトラクションが優先的に乗れることになりました。
まず一番目は、私が大好きなハリウッド・ドリーム・ザ・ライドです。息子はこれには抵抗があり、当初はかなり渋っていましたが、息子が希望するアトラクションを加えるとの交渉で何とか乗ることを約束させたのです。
期待に違わず、純粋に迫力のあるジェットコースターは、童心にかえってエキサイトし、もう一度乗ってもいいのだが、と繰り返しつぶやきました。息子は案の定、もういいよと受け付けませんでした。
二番目はジョーズです。ボートのツアー中、人食いザメの襲撃を受けるのですが、これは何故か昨年経験したより、はるかに面白く、又乗ってもいいと思えるようになりました。妻も同様のことを言っていました。ただ激しい水しぶきの為、相当びしょびしょになることは覚悟しなければなりません。
三番目はジェラシック・パーク・ザ・ライドです。これは最初はのんびりと草食恐竜を見学しているのですが、最後は肉食恐竜から逃れる為に、高低差約26mからボートもろともダイブするのです。落ちる瞬間の記念写真は、今年も買うことにしました。
四番目は息子が殊のほか気に入っている、ザ・フライング・ダイナソーです。これは、昨年デビューしたばかりで今年も最注目のアトラクションです。もちろん、息子は大満足の様子でした。しかし、このコースターは私が大の苦手の回転系が多分に含まれ、乗車後は案の定、気持ち悪くなってしまいました。周りの景色も、今までと一変したような感じです。
気を取り直し、次の五番目の未だ一週間前ほどにオープンしたばかりのミニオン・ハチャメチャ・ライドに向かいました。未だ4月だというのに、日向はもう夏のような暑さになっていました。ミニオン・パークのエリアは物凄い人だかりができていました。
まだエクスプレス・パスの指定時刻迄には時間があったので、妻と息子は近くの土産物店で物色してましたが、私はベンチに座って、先ほどの余波が消え去るのを待っておりました。
やがて指定時刻になり、パスを見せ、多くの見物客の中、意気揚々とアトラクション内に入ったのですが、機械の不具合か何かで30分程待たされるハメになりました。
さあ、今回、USJで一番人気のアトラクションが始まりました。舞台は、怪盗グルーの邸宅兼研究室。グルーが発明した特別なビークル(乗り物)に乗り込むと、ハチャメチャ体験がスタート。研究室をめまぐるしく駆け巡ったり、思いっきりハジけ飛んだり、地の果てまで真っ逆さまに落ちてしまったり・・・・・・・想像を超えた大騒動に巻き込まれていくと言うシナリオです。
世界最新鋭高性能レーザープロジェクションシステムを使って、直径20mを超える巨大ナノシーム・ドームスクリーンに投影されるクリアで色鮮やかな映像と、ダイナミックで激しいビークルの動きが見事にシンクロ。ミニオンが繰り広げる大騒動の臨場感を、体いっぱいに体感できると言う触れ込みです。
特に息子は、その面白さを満喫したようですが、何分、ダイナソーで体調を崩された私は、又も激しい回転系の動きでさらに気分が悪くなってしまいました。この後のアトラクションには、どうか回転系の動きは無いことを願うばかりだったのですが・・・
六番目はドラゴンクエスト・ザ・リアルです。シリーズ累計出荷本数6600万本以上を誇る国民的ゲーム『ドラゴンクエスト』の世界をリアルに再現したアトラクションです。
ゲーム類には全く興味のない私ですが、このアトラクションを大過なく過ごす為にか、妻が2,3週間前に、関係する情報をプリントして渡してくれました。そこには、冒険の手引きと、冒険時の役割なる職業ごとの戦い方が記されていました。
私と息子はバトルマスター、妻は魔法使いとのことで、バトルマスターは通常攻撃、強力な特技①、強力な特技②の3種類の技をあらかじめ覚えなければならなかったのです。当初、放置していましたが、さすがに1週間程前から、特に息子に迷惑はかけられないと、練習することにして、暇を見つけてはポーズを体に覚えこませていました。
その甲斐あってか、当日は高得点で見事魔物も退治すると共に、誇らしげに記念写真にも納まり、いい想い出を作ることができました!
さすがに朝食で腹いっぱいになったとはいえ、午後2時近くになると空腹感が大きくなってきました。 昼食は妻が『ロンバーズ・ランディング』で本格イタリアンのメインディッシュとデザートビュッフェを予約しておいてくれました。 雰囲気も含めて、かなりの満足なランチを楽しむことができました。
七番目はエヴァンゲリオン XRライドです。 360度創り込まれたリアルな3D映像と予測不可能なライドの動きがシンクロ。巨大な使徒から逃げ惑う恐怖と躍動感を全身で体感できるアトラクションです。
XRライドとは視覚と聴覚で別世界へ誘うVR(ヴァーチャル・リアリティ)を進化させ、眼前に広がる世界と、ライドの重量感覚などの刺激を完璧にシンクロ。360度見渡す限りの別世界で巨大な敵と遭遇するなど、想像をはるかに超えた体験が可能になると言うものです。
妻は特に360度視界が開けるこのアトラクションに感動し興奮していましたが、勇者の体験とリラックスしたランチで、ダイナソーの悪夢が消えかかっていた私は、パワフルな回転系の動きで、又あの不快な感覚が呼び覚まされてしまいました。ここでもう、止めておけばよかったのですが・・・
八番目はゴジラ・ザ・リアル・4-Dです。戦闘機に乗り込み、大阪の街で暴れまわるゴジラのもとへ出撃。壮絶かつ大迫力の戦闘に巻き込まれてゆくシアター・アトラクション。
新ゴジラの映画鑑賞を堪能し、治療院内のバスマットやフィギュアなど、ゴジラ・グッズも取り揃えていた私は、本来ならリアルな体験に凄く満喫できたアトラクションだったのでしょうが、いかんせん、ダイナソーで不調になった後は、ちょっとの回転系でも不快感が呼び覚まされ、満喫とは程遠いものでした。まさに乗り物酔いに陥った感じで、もうこの後はパスするとの決意を固めておりました。
次はハリー・ポッターのエリアに向かいました。昨年は午前中、ここで過ごしたのですが、夕闇迫る薄暗がりの魔法の世界は、いっそう趣があり最高でした。
ハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニーは、息子と妻が乗りました。その間ベンチに座って、女子高生の団体が賑やかに落ち合う様子をぼんやりと眺めていました。孤独なおじさんが疲れて休んでいると思われたでしょうか。まあ、昨今は飲食店でのおひとりさまでも代表されるように、一人で各所で行動するのがトレンディー、当たり前のようになってきているので、珍しいことではないのでしょうが・・・
やがて、息子たちが戻ってきて、買物をすることになりました。まずは、ここでの楽しみのひとつ、バタービールを購入し飲み干しました。これは一飲に値します。ノンアルコールですが、おいしいですよ。
酔った気分になったのか?意を決した息子は、マジカル・ワンド(魔法使いではない普通の人間の為の杖)を自分の小遣いで買うことになったのです。多数の杖が並んでいるオリバンダーの店で、息子は種々の杖をかなり時間を掛けて検討し、割と高価なマジカル・ワンドを買うことに決めました。
そして直ぐに屋外に出て、魔法がかけられる場所が記されたマップを見ながら、まずは、扉に向かって杖をいろいろと動かしていると、閉まっていた頑丈な鍵がスルスルと解き放たれました。少し歩いてツボが積み重なった所で、杖を動かすと、一番上のツボから水が噴出してきました。息子もちょっと驚いて後ずさりしましたが、もう完全に魔法使いになったようです。再度繰返していました。
次に窓越しにおもちゃがくるくる回っている、民家の外で杖を操ると、今度はおもちゃが止まってしまいました。妻に尋ねると、時間をも止めてしまったとのことです。
ホグワーツ特急の横に、ホームに着いたばかりの生徒の荷物が積み上げられてあるのですが、ここで杖を使うと、今度はいくつかの鞄がパカパカと口を開けたのです。もう、息子も有頂天で、「何か、今日は調子いいよ。」と声を上げていました。
最後に、奥まった石造りのツタの絡まる壁の前で、魔法を駆使すると、何と空から雪が舞い始めたのです!凄い!息子は本当に魔法が使えた喜びを満喫したようです。
最後のアトラクションのフライト・オブ・ザ・ヒッポグリフはもう皆パスすることにして、夜の帳が徐々に下りてきた神秘的なハリーポッターのエリアを後にしました。
夜7時も回り、各種イルミネーションに輝くUSJを後にして、新大阪駅へと向かいました。
在来線側の駅構内にある弁当屋は、各方面へ帰る時間帯でもあり、相当な混雑ぶりでした。その勢いに押されたのか、我々もバタバタと、それなりの弁当を買ってしまいました。 でも新幹線側の駅構内に入ると、各所ある弁当屋は比較的空いていて、種類も多く、こちらで買えばよかったと後悔しました。
車内では、早速お弁当を広げて、皆、黙って平らげ、その後息子たちは、眠りについてしまいました。
来年は、息子も、もう中三で高校受験の年になります。年齢も考慮すると、大阪への家族旅行も、今回が最後になるのかなと、少し寂しい気持ちになりました。
でも、今後の成長も含めて、またきっと、新たな楽しみも、いろいろできるだろうから、それを力に頑張ろうと、息子の寝顔を見ながら思っているうちに、やがて自分もうとうとと、意識が無くなっていきました。
この置き看板に関しては、今まで話題にもしたことがなかったのですが、この13周年という機会に少し触れてみようかと思います。
実は看板には思い入れが多分にあるのです。それは、毎朝否応無しに、ビル玄関踊り場の少し奥に入れたそこそこ重量感のある看板を、カバーをはずして外に引っ張り出し、ブロックで高さや向きを調整し、雨の日でも全体を隅々拭くことから一日が始まるからなのです。
会社へと急ぐサラリーマンの方々の目には、土砂降りの雨の中でも、ひたすら看板をこする姿は異様に映るかも知れませんね。
でも、これも看板への感謝と挨拶の気持ちの表現なのです。例えば、昨日看板を見て初めて来院された○○さんを迎え入れてくれて有難う!と。 そして、この内神田と言う街で、また今日も1日、安泰・平穏に仕事を遂行することへの、宜しくという気持ち・・・などです。
もちろん、看板に傷がついてないかどうか等のチェックするリスク管理もあります。また夜になって、一日の汚れを拭いて、又奥に仕舞う時も同様の思いで行います。
そして、この作業中に、隣の古民家に住むおじいさんと世間話をしたり、他のテナントで仕事をする方々と挨拶をし近況を聞いたり、近所のビルに職場がある常連のサラリーマンとケア後の状況を含め会話を交わしたり、行き交う人々から、スポーツ・マッサージとはどういうものなのかと質問を受けたり、道を聞かれて返答したりと、さまざまな交流の場も提供してくれているのです。
個人事業のこのような仕事を始めてから、朝と晩、毎日15分程度ずつ必ず繰り返す、この一見単調に思える作業も、実は私にとっては、このような意味のある大切なものなのです。
おかげさまで、14年目の初日も、あっという間に忙しく通り過ぎてゆきました。
治療や接客というメインの仕事だけではなく、実は雑用と言われる上述のようなその他の作業が、これでもか!と言うほど無数にあるのですが、これらすべての意味ある仕事に心を込めながら、又一年頑張ってやっていこうと思いを新たにしました。
息子は、未だ新幹線に乗ったことがなく、初の遠距離の旅行経験もさせてあげたかったのです。そして大阪と言えば、何と言っても、ディズニーリゾートと並んで人気沸騰中のUSJ!、このテーマパークの訪問が目玉でした。更に宿泊先として、一度にいろいろなタイプの温泉も楽しもうと、スパワールド 世界の大温泉を選びました。
まず、宿泊先の予約が最初にやらなければならないことでした。昨今、特に関西ではホテル等の予約が、外国からの観光客の増加で、かなり難しくなっているからです。
3ヶ月前の12月1日の朝10時に、ウェヴサイトで、土曜日や日曜日で予約をいくつか試みたのですが、筆頭候補日の土曜日はあっという間に予約済みになってしまいました。結局、月末の日曜日を予約することができました。
次にUSJのチケットを購入しなければなりません。1デイ・スタジオ・パスはもちろんですが、勝手がまるでわからぬ初めてのUSJで、あたふたすることなく、人気のアトラクションに乗る為に、エクスプレス・パス4スタンダードとエクスプレス・パス4スリルを購入したのです。
当初、価格を考慮して、スタンダード4のハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー、アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライド、ジョーズ、ターミネーター2:3ーDの4つのアトラクションで今回は満足しようと思ったのですが、今春3月から開始のザ・フライング・ダイナソーがどうしても体験したくなりました。
エクスプレス・パスの変更や払い戻しはできないことがわかり、結局、ダイナソーが含まれるパス4スリルを追加購入することになったのです。
そのため、前述の4つに加えて、ザ・フライング・ダイナソー、ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド、バックドラフト、ジェラシック・パーク・ザ・ライドも乗れることとなりました!その代わり、出費は結構高いものになりましたが・・・。
旅行初日はいつもより早く起床し、荷造り等を済ませ、朝ごはんは駅弁にする為、何も食べずに駅に向かいました。いつもは早足の私より、はるかに遅い妻と息子の足取りも、この日はいつになく速かったのでした。
全国各地の有名駅弁を取り揃えた、今ホットな"駅弁屋 祭"は未だ早朝にも係わらず、物凄い人で賑わっていました。新幹線の出発時刻を気にしながら、偶然にも妻も息子も北海道の特産を散りばめた海鮮弁当を、私も蟹をふんだんに使い野菜サラダも加味したヘルシーな丼を手に取り、長蛇の列に並びました。
何故か焦ることなく、この車両がそうだねと言いながら新幹線に乗ると、ちょうどドアが締まり静かに動き始めました。十分余裕を取ったはずなのですが、結構際どい一瞬でした。
新横浜迄は朝食タイムとなりました。そう言えば、昔、車中で弁当を食べる時は、決まって併せて買ったポリ茶瓶の日本茶と冷凍みかんが懐かしく思い出されました。現在はもうないのでしょうか?
まもなく、息子はあらかじめ百均で買ってあげたトランプをおもむろに出し切り始めました。久しぶり〜十数年ぶり?のババ抜きが始まりました。最初こそ、息子がババになったのですが、その後は立て続けに私がババになってしまいました。どうも妻が息子からババを引いた私の表情と仕草をつぶさに見抜き、ババの位置を見抜いていたのだと推察しました。
やがて、朝早かったせいもあり、いつの間にか皆眠りに陥り、名古屋を出た後、京都、そして新大阪に到着しました。駅員に路線を訪ねて、JRで新今宮駅に行けばよいことがわかりました。
自分にとっては久々の大阪で、何故か懐かしい感じでいっぱいです。息子も飛び交う大阪弁を真似しながら、テンションが上がってきたようです。
今日目指すは、ヨーロッパやアジアなど16カ国のお風呂をイメージした温泉を初め、プールやリラクゼーションも満喫できる、巨大温泉テーマパークの「スパワールド世界の大温泉」です。東京の施設とは違うおおらかさがあり、とてもくつろげる楽しいオアシスなのです。
それは、なにわの昭和レトロな下町〜新世界にあり、大阪のシンボル〜通天閣も直ぐそばにあり、大阪人のソウルフード〜串揚げの聖地でもあり、名店がひしめきあっています。
チェックインできる時間迄、未だ時間があるので、一応宿泊の手続きを済ませ、荷物を保管してもらい、写真撮影も兼ねて、昭和の匂いいっぱいの新世界を散策することにしました。日曜の昼前時、多くの老若男女で賑わっていました。
おいしそうな串揚げの名店が細い路地にひしめき合い、呼び込みの声がこだまします。ガイドブックでチェックした串揚げの原点と言われる、だるま総本店を初め、てんぐ、八重勝等老舗の店はどこも行列で直ぐには入れない状態です。そこで店構えも大きく、イチゴやバナナの鮮やかな串揚げ写真が目を引く、エビスと言う店に入ることにしました。
各種串かつとダシたこ焼きのセット、豚玉のお好み焼き、焼きそば等を注文し、目の前の鉄板で自分達で焼き始めました。どれもこれも絶品です。お好み焼きは、全国の中でも、やはり大阪〜関西風が一番おいしいかなぁ〜。
写真で見たフルーツの串揚げは、いつの間にか、息子があっという間に、平らげてしまいました。また、最後に残ったご飯は、鉄板の上に全部空けて、余っていたキャベツを加え、ソースだけで味付けした極めてシンプルな男のチャーハンとしましたが、これもおいしいと皆言ってくれました。これは、私が幼い頃、父親が作ってくれた唯一とも言える手料理でもあります。
その後は、ビリケンさんの置物を初めとする、各種土産物を陳列した店を初め、通天閣界隈の商店街を散策しながら、スパワールドに戻りました。そして早速、世界の大温泉を堪能することにしました。
古代ローマ、ギリシア、アトランティス、イタリア・カプリ島、スペイン、地中海、フィンランドのヨーロッパゾーンと日本、イスラム、ペルシヤ、バリ、ドクタースパ、大檜風呂のアジアゾーンがあるのですが、今月は前者が女性用、後者が男性用になっていました。私はローマやギリシアの風呂を期待していたので、少し残念でしたが・・・。
桜のエキスが入った山里の湯を初めとする各種露天風呂、イスラムの石風呂や大檜風呂などを堪能しました。風呂内の喫茶室では、軽食と各種飲み物が楽しめるのですが、新幹線内で懐かしく思ったあの冷凍みかんを見つけました。それとメロンソーダを注文し、しばし息子と小腹を満たしました。
夕方、最上階にあるプールで身体を鍛えようと息子と行ったのですが、競泳用ではなく、レクリエーション用の流水プールや造波プールで、何と、ウォータースライダーもあったのです。"うずうずバーン"と"ぞくぞくバーン"の2つのコースで乗り放題の申込みをして息子とチャレンジしました。
通常ならば、長い列を作りやっと乗れるのでしょうが、時間帯のせいもあったのかほとんど独占状態で、まさに乗り放題でした。でも、"ぞくぞくバーン"は特に傾斜が急で相当な迫力があったせいか、2回目で息子はお腹が痛くなり、止めることにしました。しかし明日の数々の激しいアトラクションの試し乗りとして、自信を持つことができました。
夜は、昔何度か行った梅田界隈のお好み焼き屋に行こうと思っていたのですが、このスパワールド内にも食事の出来る飲食店が立ち並んでおり、妻も息子も外出せずに、ここでゆっくりしようと口々に言ったので、そうすることにしました。
鶴橋風月と言うお好み焼きの店がとてもおいしそうだったので、そこで夕食をとることにしました。イカと豚肉のお好み焼き、焼きそば以外に、息子はとんぺい焼きを注文しました。
先のプールでウォータースライダーの乗り放題の印のテープを手首に巻かれていましたが、これがいくら引っ張っても、引きちぎろうとしても、また噛み切ろうとしても取れず、鋏しかないと思っていましたが、店内で働く同じ名字のお兄さんに頼み、息子ともども切ってもらいました。有難うございました。
昼間のお好み焼きは、結構楽しみながら、自分達で作ったのですが、正直夕食時の今は、作るのが面倒だなと思っていました。やがて、この店ではスタッフの方々が目の前の鉄板で作ってくれることがわかかったのです。ショー的に見事な手さばきで作られるのを、皆見とれていました。
お好み焼きの具材、厚さ、食感、ソースの味も丁度よく、焼きそばの太麺ももちもち食感で、どれもとてもおいしかったのですが、息子が注文したとんぺい焼きは、とろけるような美味で久々の大ヒットでした。妻は、これ、うちでもできそうだね、と言いました。更に、妻は後で検索したようで、東京にもあるので今度行こうと騒いでいました。
食後は、息子たちが部屋でテレビを見ている間、いつもとは逆に、マッサージをするのではなく受けに!出かけました。リラクゼーションのお店も館内にたくさんあったのですが、気に入った雰囲気の店で予約をしようとすると、1時間半待ちだったので諦め、直ぐ出来る気軽な感じのココチで全身のマッサージを受けました。もちろん強めでお願いしましたが、腰周りはかなり硬かったですねと言われてしまいました。仕事柄仕方ないのです・・・
その後はざっと入浴後、部屋に戻ると、息子が出てきて、母ちゃん寝てるから静かにね、と言われました。もう鼾をかいていました。
翌日はいよいよ、待ちに待った初のUSJ! 当初は、エクスプレス・パスがあるにも係わらず早く行き、開園直後、きゃりーぱみゅぱみゅのアトラクションも最初に並んで乗ろうと思っていましたが、朝はゆっくり過ごすことに急遽変更し、スパワールドを8時半頃出ることになりました。
ユニバーサルシティ駅を降りると、どれもこれも、もう街全体がUSJの雰囲気の建物で、不思議な感じでした。この辺は、ディズニリゾートとは違うと思いました。
そういえば朝食は未だ食べていなかったのですが、マックを見つけ未だそんなに混んではいなかったので、ここに取ることにしました。
USJへの入園は9時半頃になりました。まずは、門の手前で記念撮影し、屋外のあちらこちらで行われるソウルミックスショーなどを見学後、魔法使いの雰囲気がいっぱいのハリー・ポッターのエリアに入りました。エクスプレス・パスの威力で、難なく入ることができました。
バタービールを飲み、筆箱等購入後、パス一番目の、ハリーポッター・アンドザ・フォービドゥン・ジャーニーに乗りました。私は映画は見ていませんが、さまざまなシーンが3D化され目に飛び込んできて、まるで手を伸ばせばつかめそうな迫力でした。
次に向かったのはのどかな漁村のアミティビレッジで、パス使用はジョーズとなりました。ボートのツアー中、人食いザメの襲撃を受けるのですが、激しい水しぶきの為、かなりびしょびしょになってしまいました。
昼食は定時より早めにと考えていたので、ちょうど直ぐ近くにあったアミティ・ランディングというフライドチキンが名物のレストランで落ち着くことにしました。フライドチキンは息子の大好物なのです。息子と妻はそのセットを、私はシュリンプカツ・サンドセットを注文しました。早い昼食でしたが、皆平らげてしまいました。
その後向かったのは、恐竜が暮らすジェラ紀のジャングル、ジェラシック・パークです。ジェラシック・パーク・ザ・ライドは最後のスプラッシュダウンで、ずぶ濡れになるとのことだったので、あらかじめ百均で購入したレインコートを着たのですが、それでも大部ずぶ濡れになりました。落ちる瞬間の記念写真は、皆、面白い顔をしていたので買うことにしました。
水濡れ系アトラクションの後はお勧めとガイドブックに書かれていた訳でもないのですが、隣のサンフランシスコ・エリアのバックドラフトに自然に向かいました。
大火災の恐怖を描いた映画「バックドラフト」を、撮影秘話なども交えて再現したものです。最後に案内される化学薬品工場では、火柱、熱風、轟音がまるで生き物のように、炎と共にこちらに燃え広がる感じで、結構な迫力でした。
グリークには、現在、消防士の方も5名程、厳しい仕事や訓練後の身体のケアに来られているのですが、まさに命がけの現場での仕事が思いやられ、大変さを痛感してしまいました。
続いてお隣はニューヨーク・エリアです。1930年代の街並みが広がっていて、とてもいい雰囲気です。ここで、アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライドに乗ることにしました。
高精細3D映像と激しくライドの動きがシンクロするバーチャルな世界で、スパイダーマンと悪の組織との激しいバトルに巻き込まれると言う設定です。ここでの記念写真は、何故か一同沈んだ感じだったので、購入はパスすることにしました。
直ぐ隣はターミネーター2:3-Dで、映画「ターミネーター2」の続編となるオリジナルストーリーです。企業プレゼンに訪れたゲストが、人間とターミネーターとの壮絶な戦いに巻き込まれると言うシナリオで、3D映像と舞台が交錯する近未来バトルが体験できます。巨大スクリーンの迫力満点の3Dバトルが面白かったです。
次は極めてオーソドックスなジェットコースターである、ハリウッド・ドリーム・ザ・ライドです。空を飛ぶような浮遊感が楽しめるマイナスGなる体感が可能なアトラクションです。
各シートにスピーカーが掲載され搭乗中のBGMをセレクトできるようになっています。きゃりーぱみゅぱみゅやSMAPのJPOP等々がありましたが、選曲している余裕などなく、何か英語のハイテンションのチャンネルを選んだようです。
眼鏡や帽子はもちろん、何とファスナーで留めたポケットの中の鍵も財布もすべてロッカーに入れるように担当のスタッフに指示されました。今日も何名か、財布等飛ばしてしまい、二度と出なかったとのアナウンスもありました。
スタート直後の急降下から始まり、女性?の甲高いキャーキャーと言う声が終始近くから響き渡り、これは年甲斐もなく妻の嗄声とてっきり思っていました。私は、久々のオーソドックスなコースターのスリルに酔いしれて感動の声を上げていました。後で息子の声が異常に嗄れていて、あの声は彼だったと判明したのです。
とにかく、このドリーム・ザ・ライドは、回転系等の追加の装飾がなく、ストレイトの急勾配のジェット・コースターの純粋のスリルが凝縮したアトラクションで、今回のUSJの中では私にとっては最高に面白いものでした。でも息子はこれだけは怖かったようで、あの甲高い叫び声も、素直にそれを象徴していたのです。
いよいよ、今回、家族全員、最も楽しみにしていたアトラクション、ザ・フライング・ダイナソーです。
特に、ザ・フライング・ダイナソーは、USJ15周年のクリエイティブ力と技術力が結集したもので、眼下に広がるジェラシック・パークの世界を、猛スピードで駆け抜ける次世代フライング・コースターとの触れ込みです。
世界最長、世界最大の高低差を誇る世界最高のフライング・コースター!スタートからゴールまでスリルが連続する、起伏の激しいコースレイアウトが特徴で、コース全長は1124m!
40m近い高さから手足がぶらぶらの状態での高速落下は、体感重力もハンパなし!あなたは耐えられる?
暴走する恐竜プテラノドンに背中を掴まれ、全身むき出しで空を飛ぶ!ジェラシック・パークの世界を360度振り回される、日常が吹っ飛ぶスリル体験を!
この3月18日にスタートしたばっかのフライング・ダイナソーは、ガイドブックの説明があまりに魅力的で、読むたびにどうしても乗りたくなったのですが、如何せん、これがなかったエクスプレス・パス4スタンダードで十分だと購入を決めたのは私でした。でも、実はパスの交換等は可能だと思っていたのですが・・・
前述したように一度購入すると、変更も払い戻しもできなかったのです。残念だと、たびたび妻に訴えていたのですが、何と妻が、パス4スリルの存在を突き止め、しかも太っ腹で自腹で購入を申し出たのです。今回はこのお言葉に甘えたのは、申すまでもありませんでした。
待ち時間を大幅に短縮したエクスプレス・パス4スリルの入手に至ったのですが、未だこのアトラクション開始前の2月だったことが幸いし、割と簡単に購入できたのです。3月18日のスタート後は、あまりの人気で、このパス自体、何ヶ月か先迄売切れ状態になってしまったようです。将に人気爆発で、開演直後、待ち時間500分ということもありました。私の先読みは正しかったようです。
興味深かったのは、このアトラクションでも、あの甲高い絶叫が再び響いていたことです。今度は、隣の息子が出しているんだなとわかりました。
でも、終了後、息子が異様に興奮して喜んでいることに気が付きました。
「プテラノドン君有難う!本当に有難う!プテラノドン君よかったよ!」
とか
「とうちゃんは前、・・・こう言っていたけど・・・、オレはちゃんとわかっていたんだ!」
とか訳のわからないことを立て続けにしゃべりながら、凄く感動していたのです。
あの絶叫も、先のアトラクションの場合とは全く異なり、今度は歓喜の気持ちイッパイで発していたようです。
気持ちが悪くなるので、幼少の頃から大の苦手であった、コーヒーカップに代表される回転系が若干含まれていて、父ちゃんとしては評価満点のドリーム・ザ・ライドに比べると、やや引くけど、息子は逆にダイナソーが殊の外気に入ったようなのです。
そして、昨今、反抗期の兆しも随所に垣間見えてきた息子ですが、この時ばかりは、息子の昔からの特徴であった極めて子供らしい側面が久しぶりに表れて来て、それが何にも増して嬉しかったのです!
帰りの新幹線は東京行き最終便のひとつ前の時刻のチケットを購入していたのですが、USJの主なアトラクションも堪能満喫し、疲れもあって、夕方6:30頃退園することにしました。
梅田の近くで夕食を取る計画もありましたが、弁当を買って車内で食べることにしました。新大阪駅で買うことにしましたが、弁当屋は意外に限られ、どこも長蛇の列でした。
結局3人とも関西の名物品が詰まった850円の関西味めぐりを選び、私だけ更に880円のかにごはん弁当を買いました。出発すると直ちに弁当を広げて全部平らげてしまいました。やがて、妻と息子は眠りに陥り、私だけ、この2日間の出来事などを手帳にしたためていました。
久しぶりの家族旅行で、初めてのUSJも一気に楽しんだ感じです。宿泊したスパワールドも東京とは又一味違うよさがあり、とても楽しかったです。これからも年に数回は、このような機会を持ちたいものです。
そして息子もいよいよ中学生、昨今、心身共に日々親の手元から離れてゆく感じです。大人に向かって成長してゆく姿は喜ぶべきことなのでしょうが、どこへ行くのにも手をつないで歩き、素直で子供らしく、あどけなさいっぱいだったあの頃が、ふと懐かしく蘇ってきます。
それにしても、ダイナソー乗車後のふるまいはかわいかったなぁ・・・
思えば12年半前、人生初の開業に向かっての初めての具体的アクションは、周りの同志の仲間たちが当たり前に行う物件探しでも、図面引きでも、経営や採算の計画立案でもありませんでした。
それは、治療院の名前の商標登録だったのです。専門学校同期の仲間とのコミュニケーションを通してもあまり話題にならないことで、この業界では珍しいことだったと思います。でも、ずっと、自分の胸のうちでは温めてきたことで、ごくごく親しい友人にしか話していませんでした。開業する屋号の名前の知的財産としての権利化でした。たかが名前、されど名前なのです。
自宅の最寄り駅の直ぐ近くの小さなビルに入っていた特許事務所に相談に行くことから始めました。現状調査、出願、公開審査、登録査定までの各種手続きや期間を考えると、一番最初にやるべきだと思っていたのです。
「グリーク」の由来は、この院長ブログの最初の記事「グリークって?」(2004年5月)をご参照下さい。
脱サラ前は医薬品の研究開発に携わってきたのですが、発明を権利化する特許を初め、実用新案、意匠そして商標と、知的財産権の重要性は嫌というほど味合わされてきました。海外からの技術導入や共同研究等のライセンス契約の検討や評価にも、数々携わる中、薬やそれを生み出す技術以外に、それを周りから支える法的な支援体制がいかに重要であるかは、この時代に身につけたものだと思います。
特許事務所の商標の担当者は、叩き上げの感じで、本当に優しいお人柄の方でした。一から自分で何もかも切り開いてゆかなければならない張り詰めた状況の中、とても安心できてほっとする方でした。この特許事務所はその後移転してしまい、又お世話になった担当の方も定年退職して辞めてゆきましたが、この頃の緊張を交えた船出の一幕が今でもとても懐かしく想い出されるのです。
また最近とても嬉しいことに、新しいお客さんや常連さんに混じって、5,6年ぶり、7,8年ぶり、中には10数年ぶりと言った、凄く久しぶりの方々が、再び来院されるようになったことです。まるで古い昔の友人との関係が復活したような感じで、とても懐かしく嬉しく思います。
そして、様々な形で患者さんを治療している中で、実は自分が治療家として、そして一人の人間として、育て上げられているのだとつくづく感じます。本当に感謝、感謝の日々です。有難うございます。
まあ、それはさておき、当院に足を運んで頂いている皆様と、12年目を無事迎えられたことへの感謝の気持ちで一杯です。有難うございます。
まさに、これぞ、男のマッサージですね!!と多くのアスリートやサラリーマンの方々に感動の言葉を頂き、とても嬉しく思っております。これからも、更なる満足度アップの為の研鑽を積んでいきたいと思います。
私の技術に納得してくれたお客さんの中には、事業拡大の展開を勧めてくれる人も少なからずいるのですが、私は社長になるつもりは、さらさらないのです。経営より、ひとりひとりの個人と向き合う臨床を一生続けてゆきたいと思います。もちろん、集客の為には経営的センスも必要ですが、それもあくまで一対一の臨床を着実にやってゆく為です。
私は男なので、同性の強みを生かして、基本的には男性の悩みを解決してゆきたいと思っています。男性向きの技術、手技やスタイル、雰囲気を追求するだけではなく、治療面でもED、男性不妊症、前立腺肥大症、男性更年期障害などに力点を置いているのはその為です。
また今後は、生活習慣病などで倒れた働き盛りのお父さんたちの職場復帰中のサポートもしてゆきたいと思っています。以前からリハビリの講習会を種々受けたり、勉強も進めており、それはスポーツ障害への幅広い対応ができることももちろんあるのですが、実はこのことが大きな背景なのです。
医療保険での短いリハビリ期間が終了してしまい、一方介護保険の適用になるには年齢的に未だ遥かに達していない、リハビリ難民になりがちな世代の彼らを、オフィス街にある治療院と言うこの場で、心身両面から支えてあげたいのです。
たとえ小さな存在でも、元気に生活を送る為のお手伝いをさせて頂き、共に喜び合える存在であり続けたいと思っております。
どうぞ、これからもよろしくお願い致します。
息子の誕生日のお祝いも兼ねて、毎年5月はどちらかで丸一日を過ごすのが恒例なのですが、今回は長年の夢だったディズニーのホテルに宿泊してゆったりと?その雰囲気を味わいつくすことができたのです。
昨年の秋頃、きっかけは忘れましたが、妻がもらしたディズニーのホテルに宿泊する夢のような話に、ディズニー貯金をすることを私は提案しました。ちょっとした外食や遊園地などに行くことなどを我慢して、その費用を捻出するのです。妻も息子も快諾しました。
貯蓄以外の具体的な行動も、昨年の11月に始まりました。半年前から予約を開始するディズニーのホテルの予約です。ディズニシー内にあるミラコスタが第一希望で、他にアンバサダーとディズニーランドホテルが候補です。
この3つのホテルのどこかに宿泊すれば、特典としてディズニーランドに一般のお客さんより15分早く入園できるハッピー15エントリーもあるのです。
これには、グリークの常連さんの情報も大変役立ちました。1日目はシーに、2日目はランドに行くようにすれば、何とシーにもハッピー15エントリーが適用されるというのです!HPにはこのような記載はないようで、妻に話してもそんなことないよ、と取り合ってくれませんでした。でも、私は自分の治療院の大切なお客さんが言うことに間違いはないと言い張り、電話して詳しく聞いてみることにしました。やはり、それは本当であることを確認しました。
ディズニーの超人気3大ホテルの宿泊予約の争奪の合戦が、11月〜12月の土日の朝9時に始まったのです。私と息子は、固定と携帯の電話で、妻はインターネットでそれぞれ予約を試みました。
1回目は全員ダメでした。電話は9時からずっと話中でつながりません。ネットもあっという間に、一泊50万円以上もする部屋以外は、予約終了となりました。
やがて、2週目、3週目と回数を重ねるうちにコツやタイミング等がわかってきました。電話はつながるのがやっとでしたが、妻のネットは予約取得に成功するようになったのです。
もちろん、超人気のミラコスタは瞬時に予約終了で、アンバサダーやディズニーランドホテルが取れるようになったのです。そしてとうとう、日本のホテルで人気トップのミラコスタの予約が取れたのです。
ただ、梅雨時の6月のが取れ、本当の希望日のは取れませんでした。でも、キャンセルが出るかも知れないわずかな可能性に一縷の望みを託しました。そして、キャンセルが出そうな1ヶ月前の4月某日、ついに希望する5月の土曜日のミラコスタのキャンセルがほんの瞬間に出て、神業で妻は射止めたのです。
ハッピー15エントリーの為、両日ともゆっくり行けるかと私も妻も当初思っていましたが、宿泊客だけが並べる列の順位をよくしようと、結局、ほとんどいつもと同じように早朝起床するハメにはなってしまいましたが・・・
さて、初日のシーにはハッピーエントリーで入園後、私と息子は超人気のトイストーリーマニアに向かいました。もちろん並ぶこともなくすんなり搭乗できました。その間、妻は超人気のこのアトラクションのファストパスを取得しました。
妻と一端合流した後、私と息子はストームライダーに、妻はビックバンドビートの抽選に向かいました。何と昨年に引き続き、シーでは一番楽しみなブロードウェイのミュージックシアターの抽選券獲得にも成功しました。
来年の年賀用にとミッキーとの写真撮影を済ませた後、インディジョーンズのファストパスを取得しました。
私と息子は朝一で練習したことになるトイストーリーマニアに、ここで家族全員で挑戦することになりました。ファストパスで直ぐ搭乗できましたが、普通ならもう3時間待ちでした。
結果は、何とスコアは息子がトップで、私が惜敗、妻はビリで、命中率は逆の順でした。それにしても、まだ息子には負けないと思っていましたが、敗れてしまいました。でも、こんなことでも何故か息子の成長が頼もしくも思われました。
昼食時はホライズンベイレストランで、各テーブルに遊びに来るミッキー達と写真に納まろうと思っていたのですが、あまりの長蛇の列にあっさりとあきらめ、代わりにシーで唯一ご飯を食べられる日本食レストラン桜に行きました。未だ11時前だったこともあり、すんなり着席できました。朝早かったせいもあり腹ぺこで、ディズニーの和食を堪能しました。
次にファストパスの終わりの時刻が近づいたインディジョーンズに搭乗。初めて列車の最前列に乗ることができ、写真の出来映えに期待しました。でもいつもこのアトラクションでは、撮影のタイミングがいつかわからずポーズが決められません。案の定、できた作品の列に目をやると、オオカミのように吠えまくった自分の顔に唖然としました。妻もこれは買わない方がいいと釘を刺してきました。でも今思えば、笑いの種の記念に買えばよかったと後悔しています。
この後はアラビアンコーストでマジックランプシアターなどを見て楽しみ、誕生日祝いにと、息子が気に入った手品も買ってあげました。
真夏のような暑さの中、シーでは絶対はずさないミートパイをパク付き、ジュースで喉を潤した後は、今日の宿、ミラコスタで小休憩をすることにしました。
今まで外観だけを眺めてはため息をついていたホテル内にいる喜びを家族全員感じているようでした。息子も感動して、ずっといたいようなことを述べていました。私も満ち足りた気分になる中、このホテルのコスチュームを着たミッキーのぬいぐるみがとても気に入り、ホテル内のショップで購入してしまいました。実物は、治療院待合室の受付カウンターの上で、皆さんをお出迎えしています。
今夜のディナーはここ数年でも記憶にない奮発したものになりました。中華レストランのシルクロードガーデンを予約してあったのです。
この年の春季限定の、見事なデザインと色合いの金属で出来た、ゆで卵入れ容器、エッグシェイプピックケースを息子の誕生日の記念に手に入れようと、1名だけ1万円を超えるスプリング・ヴォヤージコースを注文するつもりでした。
でも、この記念品を得る為には、このコースを、何と最低2名以上オーダーしなければならないことが記されてありました。仕方なく息子と私が注文し、妻は単品の焼きそばを注文することにしました。実際は小皿をもらい、皆で各料理は分けましたが・・・ 妻は後でご飯ものがないことに気づき、チャーハンにするべきだったと話していました。
更に調子にのって私はピーチワインを注文しました。ほろ酔いの中、どれも絶品の料理が運ばれてきました。息子のいい勉強の場だと、私はナイフやフォークの取る順や使い方など教えてあげました。
そして、ウエイターやウエイトレスの方々が、料理を運んできては、その素材、調理法、特徴などを説明してくれるのですが、それを神妙な面持ちで聞いている息子を見て、噴出しそうになりました。
各料理は、思い出としてスマホで写真に収めようとしたのですが、あまりに美しくおいしそうで、何品か撮るのを忘れてしまいました。
やがてトイレに立った息子は、ちょっとした冒険をしたようです。間違えて厨房に入ってしまい、シェフの方と会話をしたと楽しそうに戻ってきました。ここでも、ちょっとした事を一人でやりたがる息子を頼もしく思いました。
食後は海底2万マイルに搭乗しファンタズミックを鑑賞した後、夜のビックバンドビートを堪能しました。午後9時半、息子の希望でトイストーリーマニアにまたまた行きましたが、既に締め切りで並ぶことも出来ず諦めとなりました。
翌朝の朝食のパンと飲料を購入し、ミラコスタに戻り、入浴後就寝、明日の早くからの活動に備えました。
翌朝は5時前に妻は出発し、息子と私は朝食後7時頃に合流しました。
ハッピー15エントリーで入園後はまず、モンスターズインクを楽しみ、スターツアーズ、懐かしいマイケル・ジャクソンが登場のキャプテンEO、プーさんのハニーハント、ホーンテッドマンションに搭乗、更に息子はシューティングギャラリーに挑戦、スコア0点でした。
ハングリーベアレストランでカレーライスを食べた後は、初のカヌーに乗船。息子もオールを漕ぐと言う初体験に満足したようです。
ファストパスでビッグサンダーマウンテンに搭乗後、気をよくした息子がもう一度乗ろうと言い出し、再度ファストパスを求めようとしましたが、何と搭乗時刻が夜8時を過ぎていたので、諦めました。
その後、スターツアーズに再搭乗後、買い物をしました。息子と私が前から欲しかったカピバラのぬいぐるみが見当たらず、キャストに聞くと、何ともう入荷を止めたとのことでした。カピバラはどうしても諦めきれなかったので、後日、インターネットで検索し、製造元を突き止め、注文して入手することができましたが。
でも息子の頭をなでながら、来年も又来られるように、明日から又頑張るからねと鼓舞して、夢の地を後にしました。
おかげさまで、東京のマッサージの激戦地、神田で開業以来10周年〜11年目を迎えることができました!有難うございます。
マッサージと言えば、駆け出しの修行時代、忘れられない言葉があります。マッサージで一番大切なことは・・・私が初めて飛び込んでいったマッサージ繁盛店の社長の言葉です。
指や腕の力で押すのではない、全身の体重を自然に垂直に手に掛ける、・・・勉強した、いくつかの注意点が、頭をよぎりました。でも、決してそんなことではありませんでした。
『目の前に横たわるお客さんの身体、それが自分の一番大切な宝物と思い接しなさい。』ということでした。
今でも思い出しては、その意味するところを、噛み締めています。
大げさかもしれませんが、マッサージしているとき、お客さんと私の間で、無意識下での交流があるのかもしれませんね。
ですから、たとえ、テクニカルな技術自体がどんなに素晴らしくても、心?の交流がぞんざいだと、そのテクニックも届かないのだと思うのです。
オリンピックの東京招致成功で今はやりの、おもてなしの心にも通じるものがあるのかもしれません。
あと、鍼灸とマッサージの専門学校の卒業パーティーでの校長先生の言葉も忘れられません。
『我々の学校の生徒も、昔は女性はほんの一部に過ぎなかったが、今では男女半々と様変わりしている。彼女たちが卒業し、元気に活躍している。現在、医療分野においては、レディースクリニック等、いわゆる女性スタッフだけの、女性専科の医療機関が大変増えている。治療院も女性専科のところが増加し、我々男にとっては、ある意味、とても厳しい時代になってきた。でも、大丈夫、男は男で勝負すればいいんだから。』と。
確かに、女性が癒されるサロンは街中あまたある中、男性を主な対象にしたまじめなサロンはほとんど皆無なのが現状です。
男はつらいよ、ではないですが、男性は本来、弱い生物、損な役回りのような気がします。それでいてストレス解消の方法は、女性と比べて極めて限られているし、不得手なような気がします。そして、レディースデーはあってもメンズデーはまず聞かない。消費の多くの分野でも女性が優遇され、男性は蚊帳の外です。社会的制約も多い男性こそ、職場と家庭以外の駆け込める隠れ家的場所、もっと開放感あふれる雰囲気下で、心身ともにくつろげて、癒される場所が必要なのではないでしょうか。
その力に自分がなれたら・・・当初からそんな気持ちがありました。
男にしかわからない男の気持ち。そんなことをさりげなく汲み取りながら、このような客商売においても、同性であるメリットを存分に生かしてやっていきたい。治療やリラクゼーション分野で、女性であることを武器にバリバリ活躍する彼女たちを見ながらそう思っていました。
私も疲労が溜まるとケアを受けます。あ、そこ!という鍼でしか味わえないツボに当たったときの響きも、唾液腺が緩んでくる指圧やあん摩も好きなのですが、単になでるのではない、身体に溶け込んで響き渡っていくような感覚の力強いオイルマッサージの気持ちよさが、個人的には大好きなのです。
だから、オイルマッサージとは無縁の日本の多くの男性方にも、是非受けてもらい、その素晴らしさを味わってもらいたいのです。それにオイルマッサージは、疲労物質の除去作用が大変優れ血行もよくなるので、定期的に受ければ、成人病予防にもつながります。
特に男が満足できるパワフルなオイルマッサージは、やはり海外が主流です。学校の勉強や実技、国内の研修会や講習会ではとても不十分で、海外のあちこちで受けては、とろけそうに感動し、忘れないようにメモを取っては、半端じゃなく硬い身体の妻を相手に練習を重ねて身体に覚えこませ、本当のオイルマッサージなど未経験の多くの日本の男性陣に提供し、こんな素晴らしいものがあるんだと知ってもらいたくて、ここまでやってきました。
おかげさまで、グリークには、各種のスポーツ選手やスポーツを愛好するビジネスマン、格闘技その他の競技で心身を鍛えている、警察官、消防士、自衛官を初め、日々の仕事で疲労やストレスを抱えた多くの男たちが、他の所では決して受けられないと、ケア、メンテ、癒し、くつろぎを求めて日々来院されてます。
このようなグリークですが、どうぞ初めての方も、他では味わえない最上の時間を過ごしにお越し下さい。決して、がっかりはさせないと確信しています。
5月が誕生日の息子のお祝いも兼ねて、毎年5月は、ディズニー・リゾートに行っているのですが、今年も、先日の日曜日、ディズニーシーで丸一日を過ごしてきました。
妻が始発電車で行き、ゲートの入り口で、前から数番目内に陣取り、息子と私が8時過ぎに着き、合流するのが、恒例になっているのですが、今年はちょっとした異変が起こりました。
あらかじめ妻は、ゲートの左から何列目の、前から何番目にいるのか、メールで知らせてくれるのです。今回もその通り行ったのですが、いっこうに妻の姿が見つかりません。携帯に電話すると、一番左から3列目の前から6番目で、左から2本目の柱の近くにいるよ!との連呼。その位置にいるはずなのですが、妻らしき姿は全然見えないのです。
しばし大声で口論していると、前列付近のおじさんが、ゲートは北と南の2つがありますよ!!!、と決定的な情報を出してくれました。青い顔で係りの人に確認し、やはり妻は違うゲートにいる事実が判明しました。
もう、ディズニーシーは6〜7回は訪れているのですが、2つのゲートがあることなど、私も、そして毎回ディズニーリゾート関連のブックを読みあさる妻も知らなかったのです。もう、ゲートが開いてしまうと、妻は叫び続けています。係りの人にもうひとつのゲートに行く道順を聞き、10歳になる息子ともども、汗だくになりながら走りに走りました。
日頃の行いがよいせいか? 私と息子が妻と合流したその瞬間に、ゲートは開いたのです。その直後、妻は嬉々として、ビッグバンドビートの座席指定券の抽選会とインディ・ジョーンズのアトラクションのファーストパスを取りに、私と息子は、かなり奥にあるストームライダーを目指して、走り出しました。先ほどの激走の余韻もあり、疲労により何度か歩いたのですが、入り口からの距離が相当あるせいか、やがて周りに人がいなくなりました。
広い機内の中、何と人気のこのアトラクションを、息子と、二人占めすることができました。外に出るともうかなりの列でした。やがて、いつもどおりの60分待ちとかの表示が出されていました。
前にも書きましたが、シー内での屋台の食べ物で、一番おいしいと私が思うのは、ブリーズウェイバイツのミートパイです。これは妻も息子も同じです。長蛇の列が絶えないギョウザドッグなどより、はるかにおいしいと思うのです。今回もこの屋台に赴き、示し合わせたようにミートパイを3人パクつきました。また同じ屋台で売っているアプリコット・メイプルシロップパイも、併せて食しましたが、これも実に美味でした。シーではこの屋台は、もうはずせません。
今回、シー内のイベントで、最高だったのは、やはりブロードウェイ・ミュージックシアターのビッグバンドビートです。昨年に引き続き、妻は抽選会で勝利しました。予定では、一番人が少なそうな午後1時代開演の座席で抽選をするはずだったのですが、直ぐ前に並んでいた、年間ファーストパスをぶら下げたディズニー通と思しき夫婦の会話から、狙い目を、夕方5時代に変えたのだそうです。
瞬時の機転で、難関の抽選会で勝利を射止めましたが、ちなみに1時代を狙って抽選会に臨んだ前の人は、はずれたそうです。
ビッグバンドの演奏、シンガーの迫力ある歌声、エネルギッシュなタップダンス、ミッキーのプロ顔負けのドラム演奏等、それはもう感動ものでした。
ゲームものはあまり気が進まない自分ですが、初めてチャレンジしたトイ・ストーリー・マニアは実に面白く我を忘れて興じることができました。トラムに乗り、シューティングゲームを楽しむのですが、総合点では、何とか息子には勝ちましたが、妻には敗れてしまいました。
私は一応狙いを定めてシューターを打っていましたが、妻はやたらめったにシューターを打ちまくっていたようです。案の定、的中率(アキュラシー)は、はるかに私の方が上でした。
ヴェネツィアン・ゴンドラもよかったです。妻は、2人の船頭さんの会話にやたら反応し、笑い転げていて騒がしかったのですが、私は、願いがかなうと言う、最後の橋の下で、心をこめて?ある願い事をお願いしました。内容は秘密です。
朝の事件の原因は、やはり自分の情報不足と認識していたのか、妻が突然、フローズンビールをおごると言ったので、お言葉に甘えると共に、息子が楽しみにしていたマジックを買いにアラビアンコーストの方に行くことにしました。
マジックグッズのさまざまな実演を見てから、買う品を物色していた息子ですが、どうも釈然としません。いろいろ見てはいるのですが、決断できないでいるのです。何となく意中を把握している私は、息子に500円の助け舟を提示しました。一瞬喜びましたが、いいよと乗ってきません。しばらくあってから、息子は決めたようです。やはり私が想像していたように、ちょっと高いけれど、100円玉が消えたり出てきたりするあのリングが欲しかったのです。
意を決した背景には、妻も私とは全く別に500円の助け舟を申し出たようです。手品を購入しても、手元にまだお小遣いが残る道を模索していたようです。
今日の夕食は、前回昼食で試して、当たりだったザンビーニ・ブラザーズ・リストランテで取ろうと決めていました。パスタ、ピッツァ、ドリアなど、いずれも手頃な値段でとてもおいしく、雰囲気もよかったからです。今回昼食は屋台などで済ませた為、結構余裕ができたので、多少贅沢もできて、ほろ酔い加減でお腹もいっぱいになりました。
やはりここもはずせないと、タートル・トークにも行きました。何とか息子に活躍してもらおうとの魂胆があったのですが、何と白羽の矢はこの私に当たってしまいました。
ウミガメのクラッシュの質問の集中攻撃を受けてしまったのです。内容はブラジャーをきっかけにした、たわいもない会話のキャッチボールでしたが、笑いの渦が巻き起こる中、困り果てている自分がおりました。
いろいろありましたが、また新たな体験も重ねて、実に楽しい一日でした。来年の5月は、息子に聞くと、今度はディズニーランドに行きたいようです。その日を励みに、また明日から頑張りましょう。息子の満足した横顔を見ながら、そう思いました。
おかげさまで、激戦地、神田にて開院以来、9周年、10年目を迎えることができました!
まずは、ご愛顧をいただいている皆様に、また、これから、グリークに行こうと考えておられる皆様にも、厚く御礼申し上げます。
多くの人に支えられて、これまでやってこられた事を、今、ひしひしと実感しております。
他院にはない、グリークの特徴は、日本ではまず受けられない、古代ギリシアの本当のマッサージを提供することと、各種スポーツ障害を治すべく、日本でもまだまだ少ない、運動鍼や鍼プラクティクスを駆使した治療を提供することです。
ここ都心にありながら、リラックスできる、きれいで静かな雰囲気の中、多くのアスリートや企業戦士が、各種障害を治し、心から癒され、まさに心身のオアシスとして、ライフサイクルに入れて活用して頂いている実態を、誠に嬉しく思っております。
これからも、たとえ小さな存在でも、健康で元気な生活を送る為のお手伝いをさせて頂き、共に喜び合える存在であり続けたいと思っております。
どうか今後ともよろしくお願いいたします。
このたび、ついに空手教室に入門しました! 昨今、めきめき、メタボぶりを発揮する家内も誘いました。 教える先生は、空手歴が、ちょうど2年、青帯1本の我が息子です。
毎日曜日の朝、時間を決めて行うことにしたのです。 毎週3回、喜んで空手を習う息子が、ふと、教えるのも好きなんだよな〜とふと漏らしたことが実は背景にあります。 それに、人に教えることでより深く、学ぶこともあるからです。 更に、時間ができたら格闘技をやりたいと、かねがね思っていた私も、ある意味で渡りに船のような気がしました。 日頃運動不足の家内にも、これはちょうどいいと思ったのです。
さて、始まってから今日で3回目になりますが、今は小二、今春からは小三になる息子が、実に頼もしく思えるようになりました。 日頃、空手教室には付き添えない私にとっても、こんなことまでやっているのかと、驚くことも多々あります。
礼や黙想から始まり、準備体操の前後開脚、補強トレーニングの腕立て伏せやジャンピングスクワットやバービー、立ち方の右三戦立ち、前屈立ち、技の三本突き、下段払い、上段回し蹴り、型の太極其の一、スパーリング等、身体で覚えている息子のようには、なかなか覚えられず先が思いやられますが、苦しくも勉強になります。
楽しい稽古として息子の計らい、カエルジャンプやアヒル歩きでの鬼ごっこも、息子も加わり、実に疲れるものの、家族間のスキンシップの一つとして、これは、なかなかいいなあと思う次第です。
15回目には先生による審査も予定されているようです。 合格するように頑張らなければ・・・!
おかげさまで、末広がりの8周年、9年目を迎えることができました!
まずは、ご愛顧をいただいている皆様に、また、これから、グリークに行こうと考えておられる皆様にも、厚く御礼申し上げます。
グリークには、スポーツ選手を初めとして、日々の仕事とは別に、スポーツをライフサイクルの一つとして楽しんでいる各種アスリートと格闘家、また身体を鍛えているボディビルダーやトレーニーの方々にも多く愛用していただいてます。
自分は、学生の頃、痩せていたせいもあって、どうにかして太りたい、逞しくなりたいと、筋トレに励んでいました。 脂肪がつきにくい身体であるだけに、太るためにはタンパク質を摂取して、筋肉を増やす以外になかったんですね。 夏は40℃を超える屋根裏部屋に、通販で購入したベンチやバーベルを設置して、日夜励んでいたんです。 ブルワーカーもやってましたよ。
そして、就職してからは、ボディビルダーを初めとして、それぞれの目的で身体を鍛える人たちと、トレーニングジムで汗を流していました。 現在は、ジムに行く時間がないので、自宅で、かつて使ったブルワーカーも含めて、バーベル等で身体を鍛えています。
おかげで、着痩せはする方ですが、Wii FitのBMIの測定では、標準体重を維持しています。 それに、特にマッサージをやるには結構な体力を消耗しますし、腕力も必要ですから、隔週の水泳とともに、筋力アップのトレーニングは欠かせないのです。
話は変わりますが、グリークは、ウェイトトレーニングのバイブル的雑誌「アイアンマン」と格闘技雑誌「ファイト&ライフ」に広告を掲載させていただいてます。 ウェイトトレーニングの様々な知識は、自分のトレーニングにおいても、また、お客さんへのちょっとしたアドバイスにおいても、とても参考になります。 また、格闘技選手の活躍等で、お客さんとの話が盛り上がることもあります。
自分も格闘技には、心技両面から大変関心が深く、是非、自らやりたいのですが、時間の関係上、老後?の楽しみに取っておこうかと思ってます。 今は、息子の空手を必死に応援してますので。
蛇足ですが、上記の雑誌、広告掲載をしている為、何部か入手できますので、特に格闘技をやっている皆さんや、ボディビルダー、トレーニーの方々に、無料で提供しております! ファイト&ライフ(偶数月23日発売)は先着10名様、アイアンマン(奇数月12日)は先着5名様です。
この一年を振り返ると、何といっても東日本大震災があります。 大自然の前で人間の無力を感じますが、安全やリスク管理の大切さが痛感されます。
これからも、スポーツのケアを初め、健康管理の一助に努めてまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
先日の日曜日、大英博物館が所蔵する、紀元前26世紀頃から3世紀にかけての古代ギリシャやローマで制作された美術品135点を、上野の国立西洋美術館に見学に行きました。
2004年5月の当ブログの「グリークって?」でも記したように、グリーク治療院は、スポーツと医療の原点、ギリシャから誕生したと言えます。 ギリシャは数回訪れたことがある、私の最も好きな国の一つですが、その古代文明の作品をこの機会に再度堪能しようと思ったのです。
古代文明の中でも、アスリートを再現した彫刻で知られるのは、ギリシャだけです。 ギリシャが誇るアスリート、人並みはずれた美しさや力強さを有する、運動選手や勇ましい英雄たちは、神様と同じようにたたえられました。
日本初公開の、傑作、「円盤投げ」を初め、素晴らしい数々の作品が楽しめますよ。 来月、9/25(日)まで開催されていますので、是非、皆さんも見学されることをお勧めいたします。
なお、グリーク治療院の待合室にも、展覧会の案内紙やリーフレットを置いていますので、ケアやコンディショニングのついでに、どうぞ持ち帰ってご検討ください。
おかげさまで、ラッキーセブンの7周年、そして末広がりの8年目を迎えることができました!
何はさておき、まずは、ご愛顧をいただいている〜グリークをライフサイクルの中に入れてくださっている皆様に、そして、これから、グリークに行ってみようかな?と考えておられる皆様にも、厚く御礼申し上げます。
土曜日の今日は、最終受付が、平日の夜10時より早い7時なのですが、ちょうど夕方からの患者さんの治療が7時に終了し、室内の後かたづけをして閉院する前に、ビルの外の治療院の置き看板を片づけ始めた8時に転送携帯の電話が鳴りました。
名前を聞くと、よぎったのは、ここ数年来られてなかった、とても懐かしい顔でした。話を聞くと、かなりひきつった深刻な感じです。どうも急性腰痛〜ぎっくり腰のようです。もちろん、大丈夫ですよ、直ぐ来てくださいと伝えました。
ほぼ身体をくの字に曲げて、びっこを引きながら現れたのは、やはりあのHさんでした。痛がるHさんを、ほぼ痛くないエビの体勢でベッド上に寝かせた後、ここに至ったいろいろ話を聞きながら、立位時にチェックした痛部を中心に診ていくと、急性と慢性の腰痛が混在した、ちょっとやっかいな腰痛であることがわかりました。
いつもは、マッサージが主体で、鍼は苦手なHさんも、今日の治療は、患部の刺鍼は避けた、遠隔療法をメインとする鍼治療が一番有効と勧める私の言葉に観念?、素直に従っていただき、治療が始まりました。
約45分の治療後、ほぼまっすぐな姿勢で通常の早さで歩けるようになったHさんに、今日は、飲酒はしないこと、風呂はシャワーに留めること、自宅までの移動で腰部を動かし帰宅した直後、新たな痛みが出ていれば、腰部を15分冷やすこと、明日夜までは、例え痛みが消えるからと言っても温めないこと、痛みが軽減しても未だ治った訳ではなく、運動はなるべく避けること、患部を上にした横向きの姿勢で今日は早めに休むこと等々を伝えました。
さらに、来週の月曜日来院できるならば、そのときは患部への刺鍼も含めて、フォローアップの治療をしましょう、と言いました。
そういえば、明日の日曜日は子供の運動会だと、ぽつりと言ったHさん。「お父さんの競技参加は今回は避けた方がいいけど、応援はもう大丈夫でしょう。」治療直後に述べた自分の言葉が、ドアを出るHさんのまっすぐな後ろ姿を見ながら、再び聞こえてきました。
さて、すぐさま自宅へ電話すると、「おとうちゃん、開業7周年のケーキ、買ってあるからね!」と元気な息子の声。「家に着くのは9:30になっちゃうけれど、夕飯は・・・」と言うと、「全然、予定通りだよ。」と息子。後かたづけは月曜日の朝することにして、とにかく飛び出しました。
帰宅後、食卓を見ると、私が以前食べたいと言っていた栗ご飯と、私の大好物のぶりの照り焼きが並んでいました。頂きます!のあと、ちょっと遅くなった理由を大まかに述べると、妻も息子も、「よかったね!」の言葉。とても嬉しくなり、何だか、Hさんにも感謝したい気持ちになりました。有難うございます。
息子が、そろそろ小学校に入学しようかという頃、ひとつ決断したことがあります。それは、息子に空手を習わせることでした。実は、そのかなり前から、何か武道のひとつを習熟させようと考えていました。いろいろな観点から検討した結果、空手道を選んだような次第です。
妻も、最初はそれほど積極的ではありませんでしたが、同意してくれました。男の子の場合は、時に戦わなければならない場面が、成長過程において、必ずや登場してきます。身体的な強さもそうですが、特に精神的な強さが求められるわけです。
ところが、昨今の日本の教育においては、特に男の子をびしびし鍛えるような訓練の場が欠如しています。それに代わるような場を息子に、親として提供してあげたいと思ったのです。
まあ、それほど硬いことでなくても、しっかり挨拶ができる子になって欲しいし、巷でよく聞く、いじめにも負けない子になって欲しい。昨今の社会情勢下では、護身術的な能力も、ある程度必要かも知れません。
もちろん、親としての躾はしますが、集団の中で礼儀をわきまえ、ある意味、型から入る体験を積み重ねて、いざと言うときに拠り所になる強さを身につけて欲しいと思うのです。
そう言えば、この子は、もっと小さい頃、テレビで相撲を見た後、早速、力士達がゆっくりと歩いて土俵まで進む動きを、面白そうに真似て繰り返していました。踊り場?で、しばしじっと立っている仕草まで忠実に行っていました。
案の定、初めて空手教室を見学した日の夜、空手着に見立てたバスタオルを厳かにたたみ、抱えながら、扉を開け膝をついて、「おっしぃます(オス、失礼します)!」と声をあげて、お辞儀をする入室のシーンから始まり、今日見たことを仰々しく実行していました。型から入る一連の流れを楽しんでいるようでした。
最近では、ときおり見せてくれる、回し蹴り、中段づき、肘打ちなど、大人の私に対してもかなりのパンチ力があり驚くほどです。やっているときの顔つきも実に生き生きとしています。空手とは関係のない友達との交流でも、さらに外向的になった感じです。やらせてよかった、そう思うこの頃です。今では妻も全く同じ気持ちのようです。
実は先週の日曜日、昇級を決める、初めての審査会があり、日頃の練習風景を見られないこともあり、興味津々、見学に行きました。やや緊張した面持ちながら、立派に型をこなす様を見ていると、親馬鹿ながら、頼もしくなりました。
この調子で、心身たくましい、元気な子に育ってくれれば・・そう思いながら、息子の動きを追っていました。
ちょうど、息子が7歳の誕生日を迎える日で、そのお祝いも兼ねての企画でした。
ディズニーリゾート絡みのことになると、俄然力を発揮する妻は、今回も早朝の3時代起きで、4時過ぎには家を出て、始発にて舞浜へと向かいました。
後で聞くと、リゾートラインのモノレールも未だ動いておらず、舞浜駅からシーまで徒歩で、しかも、何名かのライバル?に負けじとかなりの競歩的な速さで歩いたそうです。
疲れたとか述べておりましたが、そのライバルとは、どうも、鍛え抜かれた、シーの従業員の方々だったようです。
朝起きたいなと思う頃に、不思議と目が覚める自分も、この日は何故か、目覚ましで叩き起こされました。
何と今回は、いくつかの列など関係なく、この場所に到着したのも正真正銘の1番だったようです。ディズニーシーのエントランス中央の直前には、シートがしっかり敷かれておりました。
やがて8:40頃になると、開門の準備と同時に、座っていた人たちが、おもむろに立ち上がり、シートをたたみ始めました。
息子の足取りは、昨年のディズニーランドで開門後に走った時より、かなり成長している感じです。疲れのせいか、段々減速してきたと思うと、急に私の手を引っ張るように、再度元気に走り出すのです。
妻は一人、ぜひとも見たいと繰り返していた、ビックバンドビート(ビックバンドの演奏をバックにジャズシンガー達が歌声を披露、ダンサーがパフォーマンスを繰り広げるレビュー)の座席指定券を求めて、抽選を行いに、ブロードウェイ・ミュージックシアターに向かいました。でも、この日は何故か抽選制ではなく、あくまで行列に並んで数時間待たなければ、見られなくなったそうです。
しかも、直前まで代表者が並ぶだけではダメで、見る人全員が並ばなければならず、まだ小さい子供にとって、じっと何時間も待つのは酷だと言うことで、あきらめたとのことです。
海底展望室の大きなガラス窓の向こうには海の世界が広がっています。ハイドロフォンでウミガメのクラッシュとおしゃべりができるのです。
クラッシュのひょうきんな質問は、子供たちだけではなく、おとうさんたちにも向けられ、笑いの渦が起こっていました。
このウミガメの質疑応答は、控えの視聴室があって、しかるべきスタッフが答えたり質問したりしているのではなく、何とすべてコンピューターで自動で対応しているとのことで驚きです。
外へ出ると、このアトラクションを見ようとする長蛇の列が早くもすっかり出来上がっていました。
ポートディスカバリーで下車後、息子もお腹が空いたとのことで、ブリーズウェイ・バイツと言う小さなワゴンで、外がサクサクのミートパイを300円で購入し、かじったのですが、これが実においしく感動ものでした。
ディズニーシー内での食べ物で、常に一位にランクされるギョウザドックも後で購入し食べたのですが、このミートパイの方がはるかにおいしいと思いました。
やがて妻に会うと、息子は久々?の母親との再会に狂喜すると同時に、半分とってあったミートパイをプレゼントしていました。妻もさすがに空腹だったのか、かじりついていましたが、そのおいしさに、これは、シー内の食べ物では一番おいしいと、連呼していました。
時計を見ると、11時前です。これはピーク時を避けるランチタイムに丁度よい時間帯です。
ちょうどユカタン・ベースキャンプ・グリルと言う、スモークされた肉料理で有名なレストランのおいしそうなメニューの陳列の品々が目に入りました。
私が大好きなパサパサしたメキシカンライスを初め、デミグラスソースのかかったハンバーグやスパゲッティなど、とてもおいしそうで、満場一致でここで腹ごしらえをすることになりました。
ここは、古代遺跡の発掘を行う考古学者たちが集うベースキャンプの様を成していて、広いダイニングエリアやテラス席もあり、雰囲気が最高です。
ディズニーランドにも、家庭料理を提供してくれるお気に入りのグランマ・サラのキッチンがありますが、ここと趣がとても似ています。
さあ、アラビアンコーストへ出発です。ここは独特の雰囲気があり、エキゾチックな気分に浸れます。まずは、手品大好き人間の息子のために、マジックランプシアターのファーストパスを取得。
その後、妻は、念願のポップコーンカレー味を購入、モスクを思わせる建物の片隅に皆で腰をかけて、しばし無言でカレー味を堪能しました。
次に手品用品の実演と販売も行われているアグラバーマーケットプレイスに行きました。
私は、パステル調に光り輝きながら、手から離れて、魔法のように動き回る杖が一番気に入ったのですが、かなりの時間考えた末、息子が選んだのは、ケースに収まった5つの小さなサイコロが、呪文を唱えて振ると同時に、逆に並んだり、すべて同じ数字になって一列に並んだりする、サイコロの手品を選びました。
これが、私から息子への誕生日プレゼントになりました。
そこを出ると、もうマジックランプシアターに入場できる、ファーストパスのぎりぎりの時間になっていました。少し並んでから中に入れました。
魔人ジーニーの奇想天外なマジックショーを堪能した後、息子がお気に入りのシンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジに入りました。
ここは、船に乗ってゆっくりとしたスピードでさまざまなシーンのセットの中を航海していくのですが、私がここで最も気に入っているのは、航海中流れてくる「人生は冒険だ、地図はないけれど。宝物を探そう、信じてコンパス・オブ・ユア・ハート♪」と繰り返すテーマソングなのです。
ここを出てからも、頭の中で自然に奏でる感じで、歩きながら息子と一緒に何回も、その歌を口ずさんでしまいました。
妻のもとに戻り、さあ、探検を開始しようとしたそのとき、レジェンド・オブ・ミシカと言う、昼のエンターテイメントである公演が高らかに始まりました。
広大なハーバーに、何隻もの船が登場し、炎、噴水、花火を初め、さまざまな出し物が、あるストーリーに基づいて演出されてゆきます。
公演終了後、探検開始となりましたが、迷路の中の各ポイントで謎を解き明かす息子の大活躍で、見事に最終目的地にたどり着き、認定証のスタンプをゲットできました。
パンからはみ出すほどのソーセージにマスタードとケチャップだけの、実ににシンプルなホットドックなのですが、これがとてもおいしいのです。
イエロー・トラックのワゴンのお店で、あまり知られていないようですが運転席が開放されていて、ここにちゃっかり座って、あっという間に平らげてしまいました。
次に、昼間の時間帯で買い物は済ませてしまおうと、パーク内最大のおみやげ品の店、エンポーリオに行きました。
おじいちゃん、おばあちゃん、甥っ子達におみやげを買った後、ブロックが大好きで実に見事に組み立ててしまう息子が狙っていたのは、スティッチのナノブロックでした。
ちょうどよい機会なので、お金を渡して、自分で見つけて購入する学習の場にしました。
最初は、自分で見つけたいと、広い店内を何周も回りながら探していたのですが、さすがに疲れたようです。でも、後をついて同様に探していた私も、さっぱり見つかりません。
さあ、アトラクションに戻ります。ディズニシーのアトラクションの中でも、私が特に高評価を与えているミスティックリズムに向かいました。
丁度、本日、最終回の予約待ちの列ができていて、急いで並びました。命をつかさどる、水、火、大地の3つの精霊が、密林の舞台で躍動的に舞うステージです。
前回は、ほぼ最前列だったのですが、樹木を初めいろいろな舞台装置もある中、右端の席だったためか、全体が見えにくかったのです。
それが頭にあり、今回は、観客席の、ど真ん中の列の、前から1/3くらいの席に座りました。お陰で、前回と違い全容がすべて把握でき、また素晴らしい迫力を堪能できました。
ちょうどマイ・フレンド・ダッフィーが上演されていて、ハンバーガーからなる軽食を取りながら、楽しむことができました。
少しずつ日も暮れる中、未だ乗っていない、小型蒸気船である、トランジット・スチーマーラインでパークを一周することにしました。
ところが、ケープコッド・クックオフ近くのこの発着場から出る船は、通常、半周ではなく、一周できるはずなのですが、日が暮れてから行われるショーの準備のせいか、半周だけになるとのことでした。
そのため、古代文明の施設、ロストリバーデルタで降りることになり、そこから、アラビアンコーストまで歩き、シンドバッ ド・ストーリーブック・ヴォヤッジを再度、堪能した後、地下の海底王国のマーメイドラグーンに向かいました。
昨年来たとき、息子が面白がっていた、アリエルのプレイグラウンドにまずは行きました。
光線の発射と同時にポーズを決めると、壁に自分達の残像が残る部屋、大きな笑い声と共に鮫が出てくる舟、網の上を歩いて渡るアスレチックなどを楽しみました。
次に向かったのは、クラゲによって吊り下げられたゴンドラがゆっくり漂う、ジャンピン・ジェリーフィッシュです。
二人乗りだったので、妻と息子が乗った近くのゴンドラに乗り、激写しようと決断しました。ところが、元気な子供達であっという間にゴンドラは埋まりました。
まもなく花火の打ち上げが始まり、椅子でもない所に腰を掛けて、夜空で繰り広げられるショーの鑑賞となりました。
打ち上げ点からけっこう離れた、ここミステリアスアイランドから見る花火も、またなかなかいいもんです。
時計を見ると、もう夜も9時前です。
さすがにこの時間帯になると、昼間ファーストパスも終わってしまった海底2万マイルも直ぐ乗れました。
ストームライダーズもちょっと待ってから乗ることができました。
ほとんどのアトラクションも堪能し、もう帰路に向かおうかと思った矢先、ディズニシーと言えば!の、ヴェネツィアン・ゴンドラが浮かんできました。
そうです、やはりこれに乗らなければ、シーの一日は終われません。
いくら遅くとも20分くらい前に入らなければダメだ、という勘が働きました。
妻と息子を促し、ゴンドラの受付場所へ、早足で急ぎました。時計を見ると9:40少し前だったでしょうか。さすがに夜のイルミネーションの中を進むハイライトでもあるせいか、アベックを中心に、まだかなりの行列を作っていました。
今後の参考にと、係りの人に聞くと、10時には最後の舟が出られるように、入場の受け入れを、その前の時刻で終わらせるようにしていると述べていました。
今日はそれが9:40だったことになりますが、閉める時刻は、何時何分と決まってはいないようです。もっとも、我々の舟が出発したのは10:10頃で、我々の後に、もう1つか2つ分の舟を待つ人たちがいましたが・・・
雨がっぱを羽織っていたせいか、漕ぎ手のゴンドリエの話し声も全く届かず、橋の下をくぐるとき、目を閉じて願い事を唱えれば叶うとの説明も、全く蚊帳の外で、傘を差している人たちが何やら神妙な顔をして、うつむいていた意味を後で知ることになりました。
打って変わって、今回は、素晴らしい夜景のパラダイスの港を満喫することができました。
ところで、橋をくぐるとき、私が目を閉じて唱えた願いとは・・・。
妻に言うと、もっと風情に合う、少しはロマンチックなことにしたら!と言われてしまいました。
最後の最後で、ヴェネツィアン・ゴンドラを味わったせいか、シーの退園時刻は、もう10:30を回っていました。
でも、早朝から歩き回ったにも係わらず、7歳の息子の足取りは、かなりしっかりしていて、成長を頼もしく思うと同時に、素晴らしい一日を過ごすことができたことに、感謝の思いでいっぱいでした。
一昨日、息子の小学校の入学式に出席してきました。
昨日までの雨もすっかりやんで、抜けるような気持ちのいい青空が広がっていました。
濃紺のスーツに身を包み、赤いネクタイを締めて、黒のランドセルを背負って、楽しそうに歩く息子。全く知らない沿道のおばさんも、「ご入学おめでとうございます!」と笑顔で声をかけてくれます。「入学式に行くってわかっちゃうのかな?」と、息子もにこにこしながら少し照れていました。
正門の脇には満開の桜、そして大きな国旗がゆらゆらと揺れて入学を祝福してくれています。つい最 近、友達になったばかりの近所の子供たちの名前を、呼び捨てで大声で呼び合いながら、はしゃぐ息子を見て、あ、これで大丈夫だなと一安心する自分でした。
式が始まると、まずは全員起立で、いきなりの国歌斉唱でした。もう嬉しくなってしまい、自分も久々に、大きな声で歌ってしまいました。
校長先生の挨拶も、実にシンプルで心に響く言葉でした。挨拶は大きな声でしっかりしましょう! 人の話を聞くときは、おしゃべりせず、静かに聞きましょう! 言葉は、です、ますの最後までしっかり話しましょう!の3つでした。
そう言えば、在校生が式場までの廊下にずらりと並んで、私たちに、口々に元気な挨拶の言葉を掛けてくれました。先輩の上級生が、親から離れた息子の肩に手を掛けながら誇らしげに誘導し、優しく〜かわいらしく面倒を見てくれていました。正門での第一印象から始まり、もうすっかりこの学校を気に入っている自分に気づきました。
さあ、新たな旅立ちですね。
少し親から手が離れ、頼もしくなった息子に、ちょっと一抹の寂しさを感じながらも、愛する息子が、このような素晴らしい入学式を迎えることができたことに、感謝いっぱいのひとときでした。
先日の日曜日、家族でお台場に行き、クリスマス・キャロルを見てきました。
これは、元々160年以上も前に、小説として出版された物語です。 これを、今回、ロバート・ゼメキス監督が、DISNEY'S クリスマス・キャロルとして、全く新しいタッチで、映像化したのです。
妻と話し合い、息子へのクリスマス・プレゼントの一つとして見ることにしたのです。 でも、私自身、ちゃんと映画として、この有名な作品を、じっくり鑑賞したのは、今回が初めてだったと思います。
内容に関しては、もう今更、ここで説明することはしませんが、とても面白く見ることができました。横に座って見ていた息子も、とても満足したようです。
その晩、一緒にお風呂に入って、息子の身体を洗いながら、今日の映画では、お金なんかより、ずっと大切なものがあるんだと教えてくれていたんだよ、何かわかるかな?と聞いてみました。
もちろん、映画を見ただけなので、パンフレットに記載されているようなコメントなど何も息子は知りません。
小学校に入る前の、6歳の息子は何て言うだろう? テレビかなんかで聞きかじったような、「あいだよ。」くらい、言うかな?と思っていました。
すると、「かぞくと、ともだちだよ。」と答えてくれました。 何か、泣きそうになってしまいました・・・
☆以下は、パンフレットに記載されていた、ロバート・ゼメキス監督のコメントです。
チャールズ・ディケンズの原作をご存じない方でも、「クリスマス・キャロル」という言葉には、なぜか温かな響きを感じるのではないでしょうか。
この物語が誕生した19世紀半ばのロンドンでは、産業革命により貧富の格差が広がり、多くの市民が貧困に苦しんでいました。 そんな時代に希望の光を灯した"奇跡の小説"〜それが「クルスマス・キャロル」だったのです。 金銭欲の亡者であった主人公のスクルージが、不可思議な体験を通して自分の人生を見つめ直すまでを描く物語は、それ以来、時を越えて世界中で愛され続けてきました。
そして2009年〜未曾有の経済不安の中で、私たちは今まで以上に希望に満ちた物語を求めています。 経済に束縛された価値観から解放され、今の自分を変える勇気を持つこと。 自分が変わることで、未来も変えられると信じること。 自分だけの幸せを求めても、人は決して幸せにはなれないと気づくこと・・・・・・。
スクルージを通して描かれるこうした事実は、心の時代をめざす現代にあってこそ、その輝きを増すと、私は信じています。
"2009年を生きる、すべての人々とともに、希望に溢れる未来を築いてゆきたい"という願いをこめて、皆様にこの映画をお届けします。 ロバート ゼメキス
石の上にも3年を2回繰り返した感じで、6周年を迎えることができました。まずは、グリーク治療院に足を運んでくださった皆さまにお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
昨今、とみに感じるのが、単なる慰安、リラックスや疲労回復ではない、特別な治療を要する患者さんが、老若男女を問わず、実に多くなってきたという現状です。
ぎっくり腰、五十肩、膝痛、首痛、股関節痛等は、相変わらず多いのですが、各種スポーツにおけるそれぞれ特有の障害や、その個人に限定された、特殊な職業や生活スタイルを背景にした、特別な部位の障害や痛みを訴える方々の来院が、目だって多くなってきました。
その都度、はり、きゅう、あんま、指圧、マッサージ、運動法、リンパドレナージュ、テーピング等、各治療手法を駆使して、治療を行う毎日です。
完治あるいは、かなりよくなったと喜びの声をあげて帰られる患者さんの顔を見たり、後日、試合や大会で素晴らしい結果を出せたとの嬉しい報告を聞くことが、まさに私の最大の喜びであり、これこそ私が目指していた姿なのだと、あらためて感じるようなしだいです。
これからも、微力ではありますが、各種スポーツのケアや、仕事を初めとする日々の生活における健康管理のお手伝いをさせていただくことに、努めてまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
先日の日曜日、我が息子の6歳の誕生日に、待ちに待ったディズニーランドに行ってきました。
当日は、早朝、まずは満を持した妻が、始発の電車で舞浜駅へと出発、私と息子も1時間ほど遅れて家を出て、7時にランドの正面入口で合流しました。
何列かに分かれて並ぶラインの一つに、トップで妻が誇らしげに陣取っておりました。ファーストパスの取得に習熟した妻が、開門と同時に、一番人気のモンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク!"に向かって一目散に駆けると同時に、私と息子は、早足ながらも割と余裕を持って、ピーターパン空の旅に向かいました。案の定、ここは未だ並ばずにすんなりと入れました。
外へ出て、未だ誰も並んでいない空飛ぶダンボにでも乗って、おかあちゃんからの連絡を待とうかと息子と話し合っていると、妻からの携帯。人気のモンスターズの9時からのファーストパスが取れ、さらに今こちらに向かっているが、息子や妻が今回一番行きたがっているプーさんのハニーハントが、まだ朝早いせいか、並べば直ぐ入れるようだとの弾んだ声で、そこへ行くことにしました。妻はしきりに、モンスターズのファーストパスの取得に関して、自分の足もまだ捨てたものではない、でも今回の走行で、すべてのエネルギーを使い果たしたとか話しておりました。
システム調整とかで、若干待たされたものの、まもなくハニーポット(ハチミツ壺)に乗ることができました。蜂蜜の甘い香り、乗っているハニーポットの突然の進行、回転、ジャンプ等の誠に気まぐれな動き、大砲からのハニーの攻撃等で、息子も凄く気に入った様子。妻も、もう一度乗りたいとか上機嫌でした。
私の勘でなぜか、スプラッシュ・マウンテンのファーストパスをそのとき直ぐに取った後、早朝妻が取ったモンスターズのファーストパスの威力で、居並ぶ行列を尻目にすいすい前に進み、この4月にオープンしたばかりのこのアトラクションを楽しみました。
その後、先ほどファーストパスを取得したスプラッシュ・マウンテンに乗り込み、これまた、ラッキーなことに、最前列に息子と陣取り、初のコースター系の乗り物に緊張する息子の肩を抱くようにしながら、最後の水しぶきの中へ突入!
記念に撮られた写真を見ると、泣きそうな顔をぐっと冷静にこらえる、実にかわいらしい息子と共に、水しぶきで顔をくしゃくしゃにゆがめた自分と、吠えるように大声を張り上げた瞬間の妻の顔が並んでいました。これは、決して急降下ではなく、あくまで最前列でモロにかぶった水しぶきのせいでこんな顔になったのだと、しきりに説明を続ける自分でした。
スプラッシュ・マウンテンのファーストパスを購入する列が、はやくも長蛇になってしまっているのを横目にして、すばやく、ホーンテッドマンションのファーストパスを入手しました。時計を見ると11時です。混雑するランチタイムが始まる寸前で、ちょうどよい時刻と思い、すぐさま、クイーン・オブ・ハートのバンケットホールと言う、おとぎ話の世界のようなインテリアのレストランに入りました。
カフェテリア方式の、何か懐かしい形式で、息子の誕生日を祝して、かわいらしいデコレーションケーキもお盆に乗せました。ディズニーランドの明るいレストランで、お誕生日おめでとう!と祝うのも確かにいい感じです。もっとも、息子も妻も、食事後のケーキはショートサイズで、残りの決して小さくはないサイズの半分以上は、私が平らげたのですが、やせの大食いは、いまだ健在なのでしょうか・・・
昨年しっかり確認してしまった、不気味というか本当に一番怖い!白雪姫と七人のこびとはなぜか、家族全員、暗黙の了解のごとくスルーで、やや怖い?ホーンテッドマンションに向かいましたが、ファーストパスの威力で、これまたほとんど待たずに入れました。この後、昨年息子に大変好評だった、バズ・ライトイヤーのアストロブラスターのファーストパスを抜け目なく取得しておきました。
その後、まるで、もう何十回も来ている常連さんのようだねと妻と笑いあいながら、昼下がりの買い物を楽しみました。人前で何かをして、観客?を楽しませることが大好きな息子に、1本の鉛筆が、3本に切れたり、又つながったりのディズニーランド・オリジナルの手品セットを、誕生日祝いとして、マジックショップで買ってあげました。
かなり気に入ったようです。
外へ出ると、ちょうど昼間のパレードが始まっていました。今回は、昨年のように、沿道付近で1時間も前から場所を確保し待つことはせず、次のアトラクションに向かう道すがら、シンデレラ城近くの、沿道からちょっと離れた橋の欄干で足を止めて、次々と現れては流れていくフロートを眺めることで十分味わうことができました。
その後も、ミクロアドベンチャー、空飛ぶダンボ、ドナルドのボート、魅惑のチキルーム:スティッチ・プレゼンツ"アロハ・エ・コモ・マ イ!"、グーフィーのはずむ家、チップとデールのツリーハウス、ガジェットのゴーコースター、ダウンタウン・トゥーンタウン散策等、もうズバズバ狙っては決まり、堪能してゆきました。
やがて夕刻になり、あらかじめ予約していた、ポリネシアンテラス・レストランで、ミッキーとミニーのポリネシアン・パラダイスのディナーショーを見ながらの夕食となりました。このようなちゃんとした食事は久しぶりのような気がします。
給仕係が厳かに各テーブルに説明に来てくれて、アセロラ・ゼリーの入ったポリネシアンパンチは何杯でもお替り自由ですよ、と言っていたのをはっきりと聞き取れず、ライスやおかずもお替り自由ですか?と聞き返していた自分に、妻があきれ果てていました。
メインディッシュが終了後、舞台でプロのダンサーが、皆さん、ご一緒に!と言ってフラダンスを教えてくれたのですが、もちろん、妻も私も、せっかくの機会と、立ち上がり、自分なりの振り付けで、見よう見まねで腰を振りながら踊りました。息子も最初は面白がって、ニコニコしながら踊っていたのですが、まもなく座り込んでしまいました。かなり疲れていたのだと思います。
ここで、どのガイドブックにも載っていなかった、驚きの趣向が披露されました。40〜50代と思われるおじさんばかりが、7〜8人、突然指名されて、舞台に上がるよう指示されました。残念ながら、自分は漏れましたが、先のフラダンスでチェックが入っていたのかもしれません(笑)。
ダンサーと共に、タヒチのポリネシアン・ダンスを、おじさんたちが踊り始めました。結構うまい人もそれなり〜下手な人も、何せおじさんでありますから、仕草が滑稽で、自然に笑いの輪が広がり、爆笑の渦が起こりました。
夕食後も、好調は続きます。ジャングルクルーズを楽しんだ後、今回参加したアトラクションの中では、スプラッシュ・マウンテンについで私が高評価を与えたのが、カリブの海賊なのですが、すぐさま一船貸しきり状態で乗船することができました。ここでは西洋の真実〜裏?の歴史を垣間見た気がします。
地下の世界から外へ出ると、ちょうど夜のパレードが始まっていました。ちょっと足を止めながら、クリスタルパレス・レストラン横付近の広場から、ネオンで光り輝く各フロートを眺めました。それが終わると、遠巻きにずっと気になっていたスタージェットに乗り、上空からの光り輝くランド模様を観賞。
下界に戻ると、何と、空模様の関係で今日は無理かと思われた花火を開始するとのアナウンス!ちょうど、シンデレラ城の前の広場を歩いていたので、そこに皆で座り込みました。上空、城の横に広がる花火と、それを身動きもせず見入っている息子の横顔を見ていると、胸が熱くなってきました。
その後も、イッツ・ア・スモールワールド、キャッスルカルーセル(回転木馬)、スターツアーズ。ついに、閉園時刻の10時直前となりました。でも、息子と妻にプレゼントをしようと、出口に急ぐ多くのお客さんの流れに逆らうように、急に早足で、プーさんのハニーハントに再度、向かったのです!
もうだめだよと、言いながらも妻と息子も遅れて付いてきます。でも自分には確信がありました。長蛇の列が決して絶えず、閉園90分前の夜8時半の時点でも、ファーストパスによるハニーハントに入れる時刻が何と夜10時と記載されていたことが記憶にあったからです。 10時に間に合えば絶対大丈夫!そのとおりでした。
ほぼ10時に、まず私が大丈夫かな?と係りの人を見つめながら、入ってゆこうとすると、ようこそ!と温かく迎えられました。やがて息子や妻も入ってきました。でもその後も、大丈夫だった!、信じられない!、よかった!、とか言いながら、他の家族連れも入ってきました。もう10時過ぎなのに、その中は別世界でした。最後まであきらめない!?多くの熱心なファンで結構いっぱいだったのです!
ついに大人気のプーさん、2回も堪能してしまいました。ハニーハントを出るときは、もちろん、行ってらっしゃい!でした。感動ものでした。何か客商売の極意を見たような気がします(笑)。
昨年息子が、5歳の誕生日を記念して、ディズニーランド・デビューするまでは、すっかりご無沙汰の自分で、今回も、にわか勉強して乗り物等のイメージは頭に入れてきたものの、名前や各エリアもほとんどわからない状態でした。
それにも係わらず、ファーストパスで乗るアトラクションの瞬時の選択やタイミング、ファーストパスを使わないで直で並ぶ決断とタイミング、レストランに入るタイミング等、ずばずば面白いように決まり、相当混み合った日曜日の一日では、とても信じられないくらい、ほぼすべてのアトラクションを堪能することができ、今回は、妻も夫の頼りがいを少し見直してくれたようです(笑)。
さらにほとんどのアトラクションで、最前列に座ることができ、天気も予想に反して午後からは晴れ間となったりで、まさに運もすっかり味方してくれたようです。
それにしても、息子の頑張り?には驚きます。何せ朝5時に起きてから、閉園過ぎの夜10時半に至るまで、大騒ぎだったのですから。さすがに帰りの電車内では、ぐったりもたれかかって寝てしまいましたが・・・
でも家に着くとまた復活(笑)して、鉛筆の手品を出して早速やり始めてしまいました。軽くシャワーを浴びてお休みを言って時計を見ると、もう12時を軽く回っていました。普段ならこんな遅くまでは絶対許さないのですが、今日は特別ですね。ずっと前から楽しみにしていたディズニー三昧の一日だったんです。それに、ミッキーと肩を並べる最高のヒーローだったのですから・・・
先日、息子の七五三のお祝いを行いました。 おめでたい、お祝いということもあり、明るめの青の着物に袴という姿に相成りました。 息子の着物姿は初めてで、扇子と刀を持った勇者姿は、親ばかではないですが、りりしい立派なものでした。写真館での撮影時は、ここまで成長したかという気持ちで、ぐっときていましたが、妻もしきりにハンカチで目頭をぬぐっておりました。
ちょうど、この機会にと、大ベストセラーとなった、飯倉晴武著の「日本人のしきたり」を読みましたが、それによると、七五三は、11月15日に、三歳になった男女、五歳になった男子、七歳になった女子の成長を祝って、晴れ着を着せて、氏神を祀っている神社に行き、お祓いを受ける行事とのことです。
また、かつては「七歳までは神のうち」と言われるほど、七歳までの亡くなる率が高かったことから、無事に生きてきた子供の成長を氏神に見せて、感謝する意味もあったということです。
四季を重んじ、人生の節目を大切にする、日本の伝統を久しぶりに味わうとともに、氏神そして息子に感謝する一日でした。
その日来院された患者さんのカルテを、すべて書き終えると、日付が変わっている日々が、最近多くなってきました。 今日はいつもより、なるべく早めに閉店して、途中のコンビニでケーキでも買い、息子や妻が寝てしまわない内に帰宅して、一緒に5周年を祝おうかと密かに思っていたのですが、またも午前様になってしまいました。
そっと鍵を開けて部屋の中に入っていくと、食卓の料理の横に、B4の大きな紙が置いてあり、そこに、『おとうちゃん 5しゅうねん おめでとう』と、もの凄く大きな字と、後半はちょっと判読不可能な文字らしきもので、 息子のお祝いの言葉が書かれてありました。 全体が絵模様のようなタッチで、とてもかわいらしく、一生懸命書いたことが伝わってきました。 思わず微笑んでしまい、そう言えば、息子も、もう治療院と同じ5歳になるんだなあと、今思えばあっという間だったこの5年間をなつかしく振り返りました。
スポーツと医療の原点である、古代ギリシアから命名したことからもおわかりのように、グリーク治療院は、スポーツをメインの柱の一つにしております。 生活の充実や健康管理の一環として、スポーツを、いわゆるホビー・スポーツとして楽しむ方々が、昨今特に多くなってきましたが、仕事の傍らでスポーツを行う彼らの、スポーツ障害を初めとする、疲労した肉体のケアや補強を、しっかり行ってくれる治療院が、これからは絶対必要になってくると思っていました。
更に、プロ選手に関しても、ごくごく一握りの恵まれた方を除けば、多くのプロ選手の方々も、まだ、かなりお粗末な日常のメンテナンス程度で、疲労を蓄積し、エネルギーを消耗し尽くし、身体を傷めて、自律神経を失調し、選手としての寿命を縮めている方々が、本当に多いんだなあと、この5年間の治療を通して、肌で感じて来ました。
水泳は、浮力を伴い、身体中の筋肉や関節を動かす、まことに優れた運動法で、来院された患者さんにも、適度な運動法として、お勧めすることも多いスポーツです。 私も、ここ数年は、息子と一緒に、健康法とスキンシップも兼ねて、季節にかかわらず、月に2回程は、近所のプールで汗を流すのが習慣となっています。 蛇足ですが、我流での指導法で、息子の泳ぎもかなり上達してきました。 このような、健康管理上、適度に行えばとても優れた運動法の一つである水泳でさえ、プロ選手になると、オーバーユースで、身体の各所に障害が生じているのが実情なのです。
グリーク治療院は、このようなプロのスポーツ選手、そしてホビー・スポーツ愛好家のために、スポーツ・マッサージ、スポーツ鍼灸、スポーツ・アロマ等のメニューを提供し、カウンセリング、電子カルテ、徒手検査等も含めて、心身両面から、陰でしっかりサポートしてゆける体制を整えており、更に邁進してゆきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
本日9月25日、めでたく、グリーク治療院・開業4周年を迎えることができました!開業後何年たったかは、実は私の場合、すぐわかるのです。それは最愛の息子と同い年だからです。とにかく、この4年間は、今思えばあっという間でした。
古代ギリシア時代行われていた本当のマッサージを、今の日本で提供しようと言う考え、鍼灸が本来得意とする、精神や全身が深く絡んだ疾病領域での鍼灸治療を重視しようと言う考え、マッサージと鍼灸治療を柔軟に併用しようと言う考えは、私の治療院を愛用して頂く方々がこの4年間を通して、着実に増えてきた結果を見ても、まちがいではなかったと確信できるようになりました。
この業界も、競争が益々激化しています。一通りの技術だけでなく、幅広い医療の知識や国家資格も得るために、鍼灸マッサージの専門学校で3年間勉強、修行し、卒業と同時に、難易度が高まった国家試験に合格しても、実際にこの道に進む人の割合はせいぜい2〜3割で、独立開業する人に至っては、1割位のようです。私が卒業した、鍼灸マッサージ〜東洋医学の名門校で、その伝統、教授陣、入学試験の難易度でも全国でトップを争う、東洋鍼灸専門学校の仲間達を見ていても、そのような状況です。
そして、その後成長し、成功していく人の割合は更に低くなってゆきます。そこには、単なる技術、指・腕の力や動きの軽快さ、身体の的確な状況把握やツボの捕捉、マーケティングだけではなく、畏れながら、理論とは離れた、この仕事に天職として取り組んでいく意識や、身体からほとばしるセンスのようなものも、実は大きく係わっていると感じています。そのような中、技術、雰囲気作りも含めて、自分独自のユニークな差別化を図ってここまでやってきました。
医療業界ではありますが、やはり客商売の面も多々あり、当初は気負いすぎて、ご迷惑をおかけした点もあったのではないかと反省もしております。でも、そのような新しい航海での日々、帰宅後、私の相談役として、いつも極めて楽観的に、かつ、さりげなく私を励まし支えてくれたのは他ならぬ妻でした。元来照れ屋の私は、決して面と向かっては言えないので、この場を借りて妻にお礼を言いたいと思います。実際の業務に関しても、ホームページの作成やメンテナンス等は彼女にすべてお任せなのです。
最後に、冒頭触れた私の息子について触れてみます。小児鍼のせいではないのでしょうが、誠に元気で明るく口も達者で、親ばかではないですが、その迫力には驚くべきものがあります。この子に関しては、実に興味深い事実があります。例えば、おもちゃ屋で大好きな仮面ライダーや怪獣や電車を手にしていても、遊園地で人気抜群の遊具に触れていても、キラキラ目を輝かせている視線の先は、おもちゃでも遊具でもなく、それで遊んでいる子供なのです。ニコニコしながら何とかして係わりを持とうと近づいていくのです。息子が一番好きなのは、どんなおもちゃや遊具よりも、人間なのだとしみじみ感じました。そのことを、まさに実感出来るのは、私の甥っ子兄弟であるお兄ちゃん達とピョンピョンはねながら騒いでいる時です。息子が大声を出して、笑いをひきずりながら騒いでいる姿は、もう見ているだけで幸せになってしまう程です。
私の新たな人生は、まさに、この息子と共に始まったと言えます。開業後、ただでさえ、はるかに少なくなった休日も、息子の誕生後は、ソファにくつろぎ、水割りを口にしながら、書籍をめくるような、静かで落ち着いた生活とは無縁となりました。テーブルの周りを駆けずり回り、私がどんなに疲れていようと、戦いごっこを容赦なくねだってきます。かわいい顔を見ると、重い腰もなんのその、激しい?戦いが始まります。でもこのかわいい存在がまわりでどたばたしている中、何とも言えぬ至福感を味わっている自分がいるのです。
それでは、5周年、6周年に向かって、自然体で頑張りたいと思いますので、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
グリーク治療院は、独自色で、益々頑張ります!
「石の上にも三年」とは言いますが、めでたく、グリーク治療院も、ここ神田にて開院以来、三周年を迎えることができました。これもひとえに、グリーク治療院での、治療を初め、癒しやくつろぎのひとときを評価し、足を運んでくださった方々がいたからこそと、感謝しております。
思えば、3年と数ヶ月前、ただでさえ開院の準備で大忙しなのに、いろいろなことが重なりました。一つは、妻の出産〜息子の誕生、そして、もう一つは、父親の足腰の手術でした。でも、今考えると、なぜか、とても大変だったという記憶はほとんどなく、ただただ夢中で走っていたという感じです。身体もよく持ったなと思います。そして、順調に伸びてきた治療院と同様、息子も3歳4ヶ月に成長し、誠におしゃべりで、常にかけずり回っており、父親も元気になりました。
開業年の翌年に、ギリシアでのアテネ・オリンピックが開催されたことも、何か縁深いものを感じます。ギリシアは、自分が小さい頃から、一番行きたかった場所の一つであり、医療やスポーツの原点とも考えられますが、治療院名のグリークには、その想いが込められています。
神田は、今再開発でスポットライトを浴びる八重洲や丸の内の、正に都心である東京駅から電車で一駅、徒歩でも7〜8分、同じく話題の秋葉原や日本橋からも徒歩で7〜8分の、好立地の、サラリーマンが行き交うビジネスのオフィス街です。けれど、その便利さに比べて、土地柄はいかにも庶民的で、自然な、古きよき時代の雰囲気が漂っており、とても好きな場所です。
そして、神田駅周辺は、昔ながらの暖かく個性豊かな、気取らない飲食店が軒を並べる、下町的な情緒漂う憩いの場所でもあります。夕刻以降になると、連れだったサラリーマンの集団が、頬を緩ませながら思い思いの店に入ってゆきます。その姿を見ると、自分もサラリーマンだった時代、5時から男ではないですが、よくここ神田に来ては、同僚達と飲み、語り、熱唱したことが、なつかしく思い出されます。
手前味噌になりますが、酸いも甘いも含めた、自らの長いサラリーマンの経験は、治療技術だけではなく、同じ多くのサラリーマンの方々との接客上も、プラスになっているのではと感じます。企業社会で、ストレスの矢面に立ち、傷ついているのに、昨今の癒しやヒーリング・ブームでも蚊帳の外に置かれがちなサラリーマンの皆さん、ぜひ、お気軽においで下さい。
グリーク治療院では、治療の効果を最重視し、本当のマッサージのご提供、マッサージと鍼灸治療の柔軟な併用、鍼灸が本来得意とする疾病領域への注力等、他院との差別化を柱に、今後も益々頑張りますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
プライベートなことで誠に恐縮ですが、息子が誕生して程なく、土日は私が一緒に風呂に入れた後、息子にはりを5〜10分するのが日課となりました。おかげで、夜泣き、夜驚症等の疳の虫とは全く無縁で、当初よくみられた下痢や咳き込みの傾向もなくなりました。毎日、元気に、キャッキャ笑いながら、走り回っています。まだ3歳少し前ですが、最近は詩吟に似た自作の歌を歌ったり、びっくりする程のおしゃべりぶりです。
5歳頃までの乳幼児が対象の小児鍼は、いわゆる接触鍼で、皮膚に刺すことはありません。先の丸いペコペコへこむはり、イチョウの形をしたヘラ状のはり、その他の特別なはりで、症状に応じて身体のある領域に刺激を加えるのです。乳幼児の場合、経絡やツボは、まだあまり、できあがっておらず、かなりあいまいな領域として、存在しており、かつ敏感なので接触だけで十分治療できるのです。大人でも皮膚の敏感な方は、このような接触鍼は治療法として可能です。残念ですが、このような素晴らしい小児鍼の存在は大人向けのはりより、さらに知られていないでしょうね。
東洋鍼灸専門学校・一年生在学時の学友誌『道友』に掲載された拙文
僕には好きな言葉が4つある。今日はそれを披露しながら、つれづれなるままに語ってみたいと思う。
まずは、『和して同ぜず』である。人間社会、どこにおいても、協調性はもちろん大切である。でもそれは自分を押し殺して周りに従うことではない。特に今までの日本の企業風土においては、逆に『同して和せず』が闊歩していたのではないだろうか。一見仲良しクラブのごとく協調しているようで、実は周りの状況を本当に理解できてないと共に、せっかくの自分らしさを埋没させてしまっているのだ。
これからの時代、これは社会にとっても損失だし、とにかく面白くない。西洋流に言えば、個性を大切にということだろうが、礼儀をわきまえ、お互いの人間性を尊重しつつも、それぞれの大切な個性が活発にぶつかり合っていることが素晴らしいのだと思う。
さて、次は『柔よく剛を制す』だ。押してダメなら引いてみな、ができずに押しの一手でどうにも埒が明かずに、汗をかいては閉口することは、別にドアのノブに限らずとも、日常、結構、経験するところである。恋愛上の駆け引きに関しては、話は別として、とても好きな言葉だ。英語流に言えば、フレキシブル、いわゆる柔らか頭に通じるのかも知れない。
これに関連しては、小さい頃よく聞いたイソップ物語の北風と太陽の話がその神髄を見事に表現していると思う。力任せに旅人の服を脱がせようと北風は頑張るが、旅人は益々服をしっかり押さえてうまくいかない。でも太陽がぽかぽかと暖かく照らし出すと、旅人はにっこり微笑みながら、自ら服を脱ぐのである。
相手の立場を考えない、自分だけが有利な契約は結局失敗に終わると、大げさに話を展開しなくても、これは人間関係をベースにした人生に対して、誠に含蓄深い意味を提供していると感心してしまうのである。
お次は『人生、皆これ、我が師なり』である。漢文中の有名な話で、一頃書籍のタイトルにもなった、万事塞翁が馬、にも対応していると思うが、とにかく、何が起こっても、いい経験をした、これは結局自分のためになるのだ、と捉えることは、自分のような腹の座っていない人間にとっては、とても大切な考え方だとつくづく思ってしまう。失敗は成功の元、いや失敗というより、輝かしい成功への一つのプロセスなのだと理解するのである。
要は、昨今花盛りで、古典的な、マーフィーの法則にも述べられている、ポジティブ思考の重要性を言って
いるのであろう。そして、それは結局、自分を信じることなのだ。
さてさて、いよいよフィナーレの言葉となったが、それは『一期一会』である。これは、四つの中でも一番と言っていいくらい好きな言葉だ。
ちょっと前、医道の日本(鍼灸やマッサージ治療に関する研究学会誌)を読んでいて初めて知ったことだが、もともとは茶道から来た言葉のようである。茶室でお客さんをもてなすときに、一生に一度、この今しか、もう会えないと言うくらいの気持ちで、最高のおもてなしをしてあげる心の重要性を説いているのだそうだ。
袖振り合うも多生の縁、ではないが、人との出会いは誠に不思議であり、かついいもんである。昔、田舎のある飲み屋の壁に掛け軸があって、そこに「出会いの不思議さに手を合わせよう」と書かれてあり、出会いの妙味を見事に表していると感動したのを今でも覚えている。
人は一生のうち、いったい何人の人と出会えるのであろうか? ちょっと考えてみても、例えば街で道を尋ねた人を含めても、そんなにたくさんの数にはならないはずである。そのように考えると、会話をちょっとでも交わせた人や、それこそ、袖が振れ合った人も、人生において、とても貴重で素晴らしい縁なのではないだろうか。それこそ、その不思議さに感謝しても、いいのかも知れない。
この言葉は、僕流に解釈させてもらえば、チャンスということだと思う。よく、あの人は運がよかったのだ
と言う。自分はチャンスに恵まれていないと嘆く人がいる。でも、僕に言わせれば、運も実力のうち、というより、それぞれの人の近くにきているチャンスをしっかり掴むか、意識の有無に係わらずそのままにして、逃がしてしまうかの差ではないのかと感じる。
一生のパートナーになるかも知れない人と知り合いになるのも、全くの他人として通り過ぎてしまうのも、ちょっとしたチャンスをしっかり掴むかどうかであり、そこには自ずと勇気が必要になる。でも、その勇気を出し渋ってはいけないと思う。自分で言うのもおかしいが、小心者の自分ではあるが、意外なほど行動が大胆なのは、いわゆる一期一会の素晴らしさ、そして、はかなさが自分を駆りたてているような気がする。
何か取り留めのない話になりそうなので、この辺で一応まとめてみようかと思う。そう、上記4つの言葉も、共通項がありそうである。要は、自分を信じること、そして、勇気のスパイスを毎日の生活の中に振りかけることに集約されそうだ。
ところで、今日の午後はちょっとスパイスを強くしないといけないかも知れない。
え、欠点だらけのこの自分を信じる勇気の?
う〜ん、そうかも知れないけど、刺激的なおいしい人生の料理にするために、とでも言っておこう。
そして、EDはまさに健康のバロメーターで、現象として出てきているだけで、身体全体に問題があるのです。ですからEDの治療は、はり・きゅう治療のフルコースであり、他の悪いところも治ってしまいます。この点では、静脈叢のうっ血による瘤の形成による痔核を初めとする痔疾にも言及できます。痔疾も、はり・きゅう治療で治る疾患です。
ギリシア本土の、オリンピアを始めとする、各種の遺跡を見ながら、古代ギリシアに想いをはせるのもお勧めですが、サントリーニ島やミコノス島のエーゲ海の島々は、美しいの一言で、最高ですよ!
少しの英語力、または度胸やずうずうしさがあるなら、アテネに本部を置くCHAT Tours (TEL:+30-1-3230827) の3日間クルーズなどがお勧めです。島々に着いては、自由に行動し、夜は船に乗船し、ディナーを楽しみ、宿泊します。
まず日本人はいないので、海外の雰囲気を味わえるし、日本人対象のツアーに比べて、はるかに、ずっと安いのです。
また、島に泊まるのもよいかも知れません。例えば、サントリーニ島の古い風車小屋を改装したバーで、島の人が、ブズキ(弦楽器)をかきならし恋歌を唄うのを聴きながら、エーゲ海を渡る風に吹かれ、沈む夕日に目をやり、リキ酒をあおれば、まさに至福。
つまらないことなど、忘れてしまいますよ!
東洋鍼灸専門学校・三年生在学時の学友誌『道友』に掲載された拙文
全く予期せぬドイツ行きを命じられたのは、出発前の1ヶ月前であった。ドイツ語のリンガフォンを購入はしたものの、慌しい準備の日々で、「イッヒ・フロイエミッヒ・ジー・ケネン・ツーレルネン(はじめまして)」を覚えたのもドイツに向かう機上というありさまだった。
メラーおばさんの家の近所
毎年のように海外からの留学生を一部屋に間借りさせている彼女は、五十の手習いで英語を勉強したとのことだが、何ともたどたどしい。いきなり言われたことは、このキッチンのものはすべて自由に使ってよいから、料理は自分で作りなさい、とのことだった。何か厳しそう、第一印象だった。
肉屋で買い物をするにも、バスに乗るにもドイツ語のマスターは不可欠であると数日で痛感することになった。いわゆるサバイバル・ランゲージである。そして、まわりはドイツ人ばかりの中で、たった一人の生活があと1年は続く・・・。
研究所からの帰り道、バルト海、そして遠くは日本にもつながっているキール湾を行き交う色とりどりのヨットを眺めていると次第に色がにじんでいくのを禁じ得なかった。
キール湾のヨット
昼間の電子顕微鏡を使っての研究が終わると、夜はリンガフォンとの格闘となった。週一回のキール大学での英語による、ドイツ語の個人教授もとても役立っ た。やがて、帰宅後のメラー一家との談笑にも入れるようになり研究のやり取りも英語からドイツ語に次第に変わっていった。
研究所にて
ドイツではドイ ツの食事をすると意気込んでいた自分も数ヶ月を過ぎる頃から、もう、我慢ができなくなった。中国、タイ、韓国料理店で、ご飯ものを食べることが多くなると 同時に、自炊するようになった。大都市ハンブルグで炊飯器と米を購入。ニンジンを刻んで砂糖醤油を入れただけの釜飯でも、とてもおいしかった。メラーおばさんの孫で6歳のフローリアンには、半分くらい食べられたりした。おばさんやおじさんは、もちろん勧めても受け付けなかった。でも、あの初日のメラーおばさんの言葉は、留学生を長年受け入れてきた経験からの愛情であったことが、その時わかった。食卓で、やがて飽きがくるドイツ料理を無理して食べさせないための・・・。
広場での朝市で
留学中の数々の失敗も今考えると楽しい想い出である。
まず、ドイツに着いた当日、ハンブルグ駅からキールに向かう列車を、行き交う通行人に英語で聞いても、返答はドイツ語ばかりで、えいや、とそれらしいのに乗ったのだが、全く逆のしかもほとんどの駅を通過する急行だった。
夏期休暇が始まり、留守番よろしくね、とメラー一家は一ヶ月の長期キャンプにキャンピングカーで出かけたその初日に、鍵を部屋の中に入れたまま、玄関の扉を閉めてしまい、一ヶ月の野宿を覚悟した。幸い、近所のお宅に飛び込み、メラーおばさんの娘さんの嫁ぎ先に連絡してもらい、合鍵で助かった。
ロ ンドン郊外の国際学会に出席するための関連会社の社長さんのアテンドを勤めたが、マクドナルドでのちょっとした隙にパスポート、持ち金、カメラ等を入れた 小バッグを盗まれてしまった。その後しばらくは自分のパスポートの発行地は東京ではなくロンドンであることを心から自慢したものである。
キール市中心の商店街
また、国際感覚を磨くことも今回の留学の重要な目的であると豪語した自分にドクターも同意してくれて、日本からでは、容易には、かなわないドイツそして欧州 各国への旅行も堪能した。ギリシアのエーゲ海のクルーズで真っ青な海と空、真っ赤なハイビスカス、真っ白なすべての建物と階段のコントラストを楽しんでい た頃、緊急の要件で会社から国際電話がドクターやメラーおばさんのところへと飛び交い埒があかず、大騒ぎになっていたことを後から聞かされたものである。
キール市内の一般的なたたずまい
とにかく、気ままな一人旅で、各地の素晴らしい景色や雰囲気を楽しむことができた。ただ、傍らに誰かいて、きれいだよね、とか、素晴らしいね、とか言える相手がいないことは少し寂しかったが・・・。
ある時、研究所の女性たちがマツモトのためにランチタイムにすばらしい料理をご馳走してくれることになった。ミルヒライスである。牛乳で煮込んだご飯に砂糖、生クリーム、シナモン等を精一杯混ぜ込んだもので、ドイツではスーパーでも売っているデザートなのである。一杯目は結構いけると微笑みながら食した自分も、熱心に勧められるおかわりは、めまいがして断らざるを得なかった。
あと一ヶ月で帰国となったある日、こんな小さな町にも日本人会があることを知り、会合に行くことになった。20人弱くらいで女性が多く、ほとんどは音楽関係者でドイツ人と結婚していた。その夜は久々に日本語を話す機会を与えられ、最初何となくぎこちない言葉もだんだんと迫力を増していった。でも、それぞれの パートナーとはドイツ語であった。日本人女性と婚約中のドイツ人男性とは、世界一素晴らしいものと題して、フランスの料理、ドイツの家具類、イギリスの家、そして日本の女性・・・、お前は世界一幸せ者であるとか言って大いに盛り上がった。
研究所の所内旅行でのひととき
三次会も終わり、タクシーに乗り込み、家にはどうにか着いたが、あまりに酔っ払っていて、鍵穴に鍵がさせない。あと3時間も待てば朝が来る。ちょっと寒いがここで寝てしまおうと目を閉じた時、がしゃっと扉が開いた。
メラーおばさんが心配してずっと起きていてくれたのだ。
研究の成果も、もちろん大事なことではあったのだろうが、私はそれより遥かに貴重な経験をしたのだと思う。すなわち、言葉や顔つきや表現形態などは違っていて も、みんな人間は基本的な気持ちの部分では同じで、コミュニケーションから生まれる感動や醍醐味は世界共通のものであるということ、そして、いざとなれば、勇気を出していろいろ自ら行動すれば、道は開けてくるということだ。
家の近くの牧場とサッカー練習場
それにしても、ドイツのそれぞれの町の素晴らしさは忘れられない。
古城とお菓子の町が合体したような北のリュベック、雑誌で見つけた写真を頼りに手繰り当てた、城と森と湖のフュッセン郊外の小さな教会のある時間が止まった ような牧場、中世に引きずり込まれたようなハイデルベルグ、おとぎの国のレリーフそのままのブレーメン、ドイツ最古の都市で、博物館のようなアウグスブルグ、ドイツ最高峰のツークシュピッツ山への登山口で、暖かい朝食を4時半に作ってくれたりと、とても親切だった、かわいらしいペンジオンのあったガルミッシュ・パルテンキルヘン・・・もう、数え切れないほどある。
メラーおばさんやフローリアン(真ん中)
でも一番懐かしいのは、やはり1年と2ヶ月ほど住んでいたキールである。特別 な観光名所ではなく、ごく当たり前の生活に係わった所、駅、バス停、デパート、スーパー、レストラン、文房具店、レコード店、郵便局、銀行、映画館、記念切手屋、公園、市庁舎、小さなオペラ劇場、朝市広場、研究所、キール大学、薬屋、居酒屋、旅行代理店、クリーニング屋、理髪店、ブティック、写真屋、サッカー練習場・・・どこを歩いても、あの頃が懐かしくよみがえってくるに違いない。
そして、ドイツでの生活の拠点となった、メラーおばさんの家、そして、メラーおばさん・・・。
それらの素晴らしい想い出の場所を、近い将来訪れることを実は楽しみにしている。
その時は、傍らに、愛する人と共に・・・。
いよいよ、ギリシアのアテネで4年に一回のオリンピックですね!
そう、グリークとは、ギリシアの、ギリシア人の、という意味の、英語から取ったものです。
オリンピックの発祥地、ギリシアは、スポーツの原点とも言えますが、ヒポクラテスの宣言でも代表されるように、医療の原点とも言えるでしょう。
古代オリンピックが開催されていたギリシア文明の時代、ヒポクラテスらが行っていたメディカル・マッサージは、当時のメインの医療でした。
まさに、手当て 〜 治療行為の原点ですね!
その当時のマッサージのよいところは、手技やスタイルも含めて、グリーク治療院では、積極的に取り入れているので、マッサージの真の醍醐味を堪能できますよ!